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バッティングセンス
「おじさん、トシって天才ですよね ?」
おもむろに向けられた明るい瞳に、お父さんは戸惑いの表情を浮かべ、そして少し考えてから目尻を下げた。
「天才とは、またすごい高評価だな」
お父さんの苦笑混じりの声。
「努力する姿を身近で見ている家族っていうのは、身内の事を仲々そんな風には思わないのかも知れませんね。ぼくは映像しか見ていませんけど、稀に見る天性の打撃センスだと思いました。ぼくもいろんなバッターを見て来ました。中には今、スーパースターと呼ばれている選手もいます。でも、センスと言う意味ではトシに勝る選手はいませんでした」
「いやいや、それはいくら何でも …ヒロくんが ……いや ……だってヒロくんの同級生なんて、大沢やら水野やら、後輩にだって力丸やら辻合……」
「お父さん ! ストップ」
わたしは肘でお父さんの腕を突付いた。
お父さんがニヤケ面のまま静止した。
“ 野球バカ ” になったお父さんが語りだすと話が長くなるから、すぐに止めておかないと手に負えなくなる。
・・・ヒロさんもちょっと言い過ぎ
今の侍ジャパンのメンバーは、ヒロさんの大学時代のチームメイトとライバル達で大半を占めている。
ヒロさんも本当はすごい選手だった。
「真面目な話 …」と言ってヒロさんは言葉を続けました。
「バッティングセンスは、ある程度の年齢までで決まるという統計データがあります。真偽はともかく、少なくとも11歳の大沢より今のトシの方がはるかに上手い。これは11歳の大沢をよく知っているぼくは断言出来ます。でも今、トシは野球から離れています。そしてもうしばらくは離れていた方がいいとも思います。今、再開してもまだ楽しめないと思うからです。楽しめないスポーツならやらない方がいい。これは、ぼくの絶対に譲れない持論です。そこで提案です。ぼくは日本を離れていても、トシにはトレーニングのアドバイスを、メールのやり取りなんかで続けていきたいと思っているのですが、よろしいでしょうか ?」
「それは …なんという心遣い …もちろんです」
そう呟いたわたしの横で、早紀が黙って頭を下げていた。
「いえ、そんな大層なものでもないのです。トシのバッティングセンスは、少しの間、野球から離れるくらいで、衰えるものでもないですし ……ただ逆に更に伸ばせないかな、と考えています。その為のアドバイスをメル友気分でやっていけたらと …その程度のノリです」
そう言って、ヒロさんは照れくさそうに頭を掻いた。
「あの ……視線恐怖症を完全に克服する為に私達はこれから何をすれば …」
早紀が遠慮がちに訊いた。
いくら “大した事ない症状 ” なんて言われても早紀にしてみれば不安。
そして、それはわたしも同じだった。
「監視をしない事でしょうか。あと“ 完全に克服 ” なんて事は考えない方がいいと思うんです。人見知り、対人恐怖症、人の視線が怖い ……そんな人は世の中にいくらでもいます。それも個性の一つだと思いましょうよ。生活に大きな支障のない程度になればいい。今はそんなゆとりが一番大切な時だと思います」
ヒロさんは、驚くほど厳しい顔で即答した。
「見守る事は、とても大事な事です。でも出来れば、同じ “ 場 ” を共有した空間で見守って欲しいんです。ランニングを見守るなら、一緒に走って欲しいです。もし、バッティングセンターに行くのなら、早紀さんやお母さんにも打って欲しいです ……ところでおじさん、いきなりですけど昔、大学の野球部の合宿所に差し入れを持って来てくれた事がありましたよね」
ヒロさんの顔が少年に戻った。
・・・ホント、表情の豊かな人
「ん ? そうだったか ?」
突然の昔話に、お父さんの目が天井に向いた。
「はい、ハーゲンダッツです。一人一個づつ配っても余るほど大量に。当時の大学生にとってハーゲンダッツは夢のアイスだったんで、合宿所は大盛りあがりになりました。そこで余ったアイス争奪の卓球大会をしたんです」
「ああ、思い出した。俺も参加したんだ」
お父さんが嬉しそうに言った。
・・・でもいきなり何の話かしら ?
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