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旧家の女中
竹箒を小脇に抱え、朝靄の中に浮かぶ遠くの山を見ながら手を擦り合わせる。山の端から太陽が顔を出し始めた頃合だというのに、吐く息は白く、指先はかじかむほどに冷たい。今朝は一段と冷えたなと思いつつ、今しがた掃き掃除を終えた庭をぐるりと見回す。すると、屋敷を囲うように植えられている椿の足元に、白っぽい緑の葉をつけた植物を見つけた。近づいてみれば、葉にうっすらと霜が降りているのが分かる。白い和毛のような見た目なのに、そっと撫でただけで、一瞬のひやりとした感覚ののち、すうっと溶けて指先を湿らせる。人の手で触れられずとも、日が登ればやがて消えてしまう。凛とした寒さの朝の、限られた時間にだけ見られるそれは儚く、その上この秋はじめての朝霜ともなれば、よりいっそう貴重なものに思えた。
「お早う。今日は寒いわね」
後ろから声をかけられた。振り向くと、寝間着の浴衣に厚手の半纏を羽織った奥様が立っていた。先月、帝都からこの屋敷に嫁いできた彼女は、使用人達にも気さくに話しかけてくれる。私は歳が近いせいか、特に話し相手になることが多い。「奥様」と言ったって、その実は齢十六の少女にすぎない。その上、周りは馴染みの無い土地、家、そして人々。身分も境遇も違えど、奉公に出された時に感じた、自分だけ知らない世界にぽっかりと切り離されたような感覚が思い出された。
「お早うございます、奥様。今日は初霜が降りるほど寒うございますよ」
私は彼女に向かって頭を下げてから、足元に生える霜の降りた葉を指差した。奥様は私の傍らへ来ると、しゃがみこんで葉をじぃっと見つめた。
「春や夏とはまた別な趣があって、綺麗ね」
奥様は顔をほころばせる。その笑顔に垣間見えたあどけなさは、彼女が自分とさほど歳の変わらない少女であることを改めて認識させた。数か月前まではそんなふうに学友と笑いあっていたのだろうか。煌びやかな帝都の女学生だった奥様が、しがない使用人である私と出会い、同じ場所で同じものを見ているなんて、なんだか不思議だ。
「ねえ、あれは何かしら?」
そう言うなり彼女は歩き出す。後を追うと、他より少し大きい椿の木の傍で立ち止まった。そこには一寸にも満たない、短い半透明の繊維がまっすぐに伸びて密集していた。
「霜柱ですね。実家にいた頃、見つけたらそのたびに踏むのが楽しくて」
幼い頃を思い出しながらそう言うと、奥様は驚いたように目を見開いた。
「こんなに綺麗なのに、踏んでしまうの?」
「ええ、綺麗だから見るのもいいですけど、踏むとざくざく音がして、楽しいですよ」
それを聞いた彼女は、しばらくの間、興味深そうに霜柱を色んな角度から眺めたり、しゃがんで、硬さを確かめるようにそっと指でつついたりしていた。それから意を決したように腰を上げ、目を輝かせながら私の方へ向き直った。
「私もやってみるわ。でも、こんなに綺麗なのに、踏んで台無しにしてしまうのは、ちょっと怖いの。だから」
そう言ってにっこり微笑み、両手で私の右手を撫でるように包み込んだ。
「支えてて頂戴ね」
それから彼女は、自分の左手を私の右手に預けた。しなやかな指先にきゅっと力が込められる。細く、すべすべとした彼女の手は、淡雪を思わせる程に色白で、溶けてしまいそうな印象を受けた。水仕事で荒れた自分の手とは対照的だ。手を握るなんて不釣り合い、なのかもしれない。それでも、そうだとしても、この子に頼られたならば、その望みを叶えてあげよう。手のひらから伝わる熱を感じながら、そんな温い衝動を感じた。柄じゃないかも、などと思いつつ、私も彼女の手を握り返す。
「霜柱が立つ所は、土が柔らかくなっています。お気をつけくださいませ」
「大丈夫よ、貴女がいるから」
そう言って、彼女はそっと右足を踏み出した。ざくり、ざくり。氷の繊維を踏みしめるたび、彼女の表情は喜びに輝く。秋と冬の狭間で、私達は互いのぬくもりを確かめながら、一歩一歩、歩んでいった。
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