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わたしはこの人と結婚して良かったのだろうか。
夫は経営をプロにまかせてからわたしのためにいてくれる時間が増えた。わたしが育児中に話した行きたい国に行かせてくれた。買いたかった服を買わせてくれた。そこまでは良かった。
では何がダメだったのか。それは夫がわたしが必死になって産んだ息子への愛情を抱いてないことである。
例えば、わたしが夫に息子を抱っこさせてあげようとしたときに、いやいいよ、なんか触りたくなくてと言ってきたこと。息子を幼稚園まで送っていって家に帰ってきたときに、朝食くらい作っておいてよと言ってきたこと。親子3人で旅行に行けなかったこと。キリがないほどあげられる。
この程度でと思う人もいるかもしれないが、わたしがそう思う理由は兄の死にある。
兄はわたしが生まれる前に殺されたのだ。正確にいえば、誘拐犯に殺されたのだ。母と一緒にスーパーにいったときのこと、母が一瞬目を離したすきにに誘拐されたという。しかしその事件は、当時起こった日本を変える大きな事件によってかき消されたらしい。その話はわたしが中学三年生の時に聞かされた。
わたしは息子が死んだ時から狂ったと言える。飲酒運転をしていた大学生たちを本気で殺そうとしていた。しかし彼らは、マスコミやテレビで鬼のように悪人扱いを受けていたからなのか、事故の1週間後に全員首をつって死んでいた。
わたしはこの怒りのぶつけどころを失っていたのだ。なんとももどかしかった。だからこそ湧いてくる夫への怒りを止めることはできなかった。わたしは数日足らずで夫を殺すことを決意した。その頃にはなぜ夫と結婚したのかはわからなくなっていた。
わたしは貧乏な家で育った。家賃8万のぼろアパートに家族3人で生活していた。貧乏とはいえど最低限の生活はできていたし、貧乏なせいでいじめにあったことも幸いながらなかった。
しかしある時、父が死んだ。死因は膵臓癌だった。父が癌にかかっていたことは母でさえ知らなかった。そして父はあるものを隠していたことに気付いた。
それは1000万ほどの貯金であった。父は夜も仕事をしている時が多かった。しかし、本当はコンビニの夜勤なのであった。そして父の遺書にはこう書いてあった。
「父さんは医者になりたかった。でも金がなかった。本当に悔しかった。だから子供には医者になって欲しかった。頼む由花、この金で医学部に入って医者になってくれ。」
弱々しい字でそう書かれてあった。
それからわたしは医者を目指すことになった。
わたしは勉強することが嫌いなわけでもなかったので、前以上に勉強に力を入れるようになった。わたしより頭の良い人と友達になって、勉強を教えてもらうことになった。
つくった友達と話すことで、貧乏だったからわからない知識をたくさん手に入れられた。ファッションに疎かったわたしもお洒落になることができた。
服や参考書を買うお金は、バイトをして手に入れた。うちの学校がバイトOKだったことには感謝をしたい。
高校時代はほとんどバイトと勉強をした覚えしかないが、たくさんの友達を作ることができ、将来の夢を持てたことに関しては本当に良かったと思う。
第一志望の大学に入り、医学部で6年間を過ごした。医学部時代ではたくさんの人とコミュニケーションをした。人と話すこと、友達を作ることは中学時代ではただ憧れだったのに。どうせ6年間もあるしと思い、彼氏もたくさんつくった。経験人数は10を超えたと思う。もちろん医者になるための勉強もしっかりした。
そして、医者になったのだ。
夫はとても真面目そうな人間だった。なのに、いざ飲みに行くと、少し可愛くなるのだった。大学時代に付き合った彼氏たちは皆、顔で選んでいた。カッコ良さで選んでいた。男を可愛いと思うことは初めてだったのだ。
あの時なぜ可愛いと思ったのだろうか。
医者はやめる気はなかった。けれど、夫とわたしの間に子供ができてしまったのだ。中絶するなんてかわいそうなことはできるわけなかった。それでも父のゆめを終わらしてしまって良いのだろうか。自問自答を繰り返した。そして、同僚たちの後押しもあり、わたしは産むことを決断した。
可愛い息子と過ごした日々は本当に幸せだった。
なのに、なぜ。
もう夫は殺した。それからは、息子がいた幼稚園にいる子どもたちを殺そう。それから、それから、それから。
いや、その前に。
わたしは、息子がひかれた交差点の真ん中に立っていた。大型トラックがわたしに向かって突っ込んでくる。
「会いに行くよ」
息子に。夫に。
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