プロローグ

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プロローグ

 何かを始めるとき、人は普通、胸をときめかせたり、緊張や不安を抱いたりするものだろうか。 何かに終止符を打つとき、人は普通、悲しんだり、達成感を覚えたりするものなのだろうか。 俺は、その「普通」がわからない。 いや、そもそも“心”というものを感じた記憶がない。 人間は「普通」という基準がなければ、生きていけないらしい。 何が普通の行動で、何が普通の思考なのか。 その基準を知るためにあるはずの世界で、俺の中にはただ一人、俺という存在しかいない。 窓の外には人が見える。横断歩道を渡る大人、公園で遊ぶ子供、カフェで笑い合う少女たち。 彼らは確かに生きているのだろうが、俺にとっては鳥や虫と同じだ。意思疎通のできない、ただの風景に過ぎない。 彼らが何を考え、何を感じているのか。 俺には理解できないし、興味もない。 ただ、ひとつだけ分かることがある。 それは、外にいる彼らが俺の存在を認識していないということだ。 それだけだ。 (「俺って必要なのだろうか?」) この言葉は、悲観から来たものではない。 ただ、現実を眺めていたら、腹の底からふと湧き出た疑問だ。 俺は自分のことをよく知っている。 無知で、無能で、何の役にも立たない存在だということを。 そういえば、いつからだろう―― 痛みや喜び、苦しみを感じなくなったのは。 感情そのものを理解できなくなったのは。 いや、もしかすると、最初から俺にはそんなものはなかったのかもしれない。 見失ったのではなく、元から存在しなかったのではないか。 ……頭が痛い。 こんなことを考えたって、どうしようもない。 だから今日も、できるだけ早く時間をやり過ごす。 何も考えずに済むように。 ——それで良かった。 少なくとも、今日までは。 だが、明日からはそうはいかないらしい。 滅多に開けることのないポストに郵便物が届いていた。 少し厚みのある茶封筒。中にはパンフレットと数枚の紙が入っている。 『入学案内』 ……どうやら俺は、明日から高校に通うらしい。
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