妖精を売る男

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 待ってると言われたラボに行くと、研究員のドロシー・ノーランドの大きな笑い声が聞こえた。 「キャロライン、あんたね、それっくらいでテーブルひっくり返すんじゃないわよ! あー、おかしい……」 「あなたにはわかりませんよ。まったく、どいつもこいつも笑い話にする……」 (な、何の話をしているのかしら……)  自分が入って行ってしまって良いものか。いや、しかし盗み聞きはジルの良心が許さないし、何よりマーサは自分を待っているのだ。あまり遅いと思われても困る。慌ててノックした。 「どーぞ、ジル」  ドロシーの陽気な声が聞こえた。ジルは驚きつつもドアを開けて、 「な、なんでわかったんですか……」  恐る恐る尋ねる。ラボの研究者は、一本にまとめた、目の覚めるような長いブロンドヘアを揺らして笑った。 「なんとなく。で、何があったのよ」  どうやら、マーサはジルが来るまで説明を待っていたらしい。そうすると、さっきまでの会話は雑談だったと言うことになり……。 (マーサの雑談ってどんなのだろう……)  ジルが口をつぐんでいると、マーサが説明を始めた。 「……と、言うことなのよ。怪我をした妖精の目撃証言が、今月だけで既に五件よ。流石に多いわ。妖精が怪我する状況ってどんな状況だと思う?」 「あたしなら何でも知ってると思ったのね、キャロライン。ふふ、あなたの信頼、とっても嬉しいわ」  緑色の目を細めながら、ドロシーはにっこりと笑う。同性でもどきっとするような笑みだ。どぎまぎしているジルの横で、マーサは何事もないかのように、 「あなたの知識には助けられていますからね。それで、どうなの?」 「知らないのはあたしだけじゃないわ。妖精って言うのは謎が多いのよ。どちらかと言うと、幽霊とか神とか悪魔の側ね。だから、この前も悪魔が妖精を騙ることができたわけ」 「で、でも、悪魔と妖精は厳密には違うわけですよね」  悪魔が妖精を「騙る」と言うことは、両者の間には明確な違いが存在すると言うことになる。 「そうよ。悪魔は魔王ヴェントスの眷属」 「では、妖精は雷神トルリマの眷属ですか?」  ジルは胸に下げた逆さ剣を意識しながら尋ねた。主神である雷神トルリマ。それと創世の頃より争い続けていると言われている魔王ヴェントス。この善悪二元論が、ジルたちが奉じている宗教だ。 「そうとも言うし、そうでもないとも言う。すごく遠い親戚、みたいな。弟の娘の息子の娘の娘の息子くらいじゃない?」 「と、遠いですね」 「一応血は繋がってるって感じ。そりゃ、妖精は善悪で言ったら善だけど、立場的には中立よ。だってあいつら、教会の結婚式でも悪戯するわ」  確かに、神に忠実な眷属であれば教会で悪さはしないだろう。 「だからと言って、人を堕落させるようなことはしないし、悪魔祓いは効果無し。そこが妖精と悪魔の決定的な差よね」 「人間から見てぱっと区別はつかないと」 「そう言うこと」  ドロシーは肩を竦めた。 「グルーバー博士って人が、この辺では一番詳しいんじゃないかなぁ。紹介してあげよっか?」 「是非お願いするわ」 「オッケー。伝書鳩飛ばしておくよ。ついでに紹介状も書いてあげる。ちょっと待ってて」  ドロシーはウィンクすると、ペンを取って書き物机に向かった。 「どう思いますか?」  グルーバー博士の研究所へは、馬車で向かうことになった。その客車で、ジルはマーサに尋ねる。 「なんとも言えないわ。まずは専門家の意見を聞かないと。ただ、妖精が怪我すると言うのは、確かに子供に羽をもがれるだとか、握りつぶされそうになって、というのは聞いたことがある」 「犯人は子供でしょうか?」 「わからないわ……私はそもそも、妖精に怪我させたことなんてないのよ。あなたは?」 「私もないです」 「ただ、たまに聞くわね。小さい頃、妖精に出会って、ついつい捕まえたくなって羽を掴んだら取れてしまった、と言う話は」 「まあ」  ジルは顔をしかめる。 「酷いことをするんですね」 「子供のやることだからね」  マーサは肩を竦めた。 「マーサは? 妖精に会った時、どう思いましたか?」 「薄気味悪いと思ったわ。あなたは?」  ばっさりと言い放った。ジルは少したじろぎながら、 「羽が綺麗だけど、触ったら壊れそうだから、触りませんでした」  子供の頃の記憶に少しだけ残っている。陽の光を受けて虹色にきらきら光る妖精の羽。  魔法の様だと思ったし、実際、魔法の力に近い所にいる存在だ。魔法をきちんと制御できるようになった今でも、思い出の中の羽の美しさは、自分の手には収まらないような気がしている。  ただ、ジルは今朝ロイに言った様に、人よりも妖精が見える期間が短かった様に思う。 (人間と妖精で善悪の基準は違うと思うわよ)  マーサの言った言葉も蘇った。 (……仕事なのに、もう少し良好な人間関係を求めてしまうこのわがままが、私の悪い所なのかしら……)  知らず、逆さ剣のアミュレットを指先でいじり回している。  やがて、馬車が停まった。馭者が客車を開ける。 「さ、着きましたよ、お客さん。ここが、アーロン・グルーバー妖精研究所です」  研究所、という看板を掲げてはいたが、実態としては自宅であった。こじんまりとした一軒家だ。外には花壇があって、季節の花が咲いている。  アーロン・グルーバー博士は、総白髪に白い口ひげを蓄え、丸い眼鏡を掛けた好々爺であった。ジルたちが審問官であることを告げると、待っていましたとばかりに頷く。 「ノーランドさんからのご紹介と言うことで」  伝書鳩はきちんと仕事をしたらしい。青灰色の目をぱちくりと瞬かせながら、マーサとジルの顔を交互にとっくりと眺めた。 「ええ。私は四級審問官のキャロラインです」 「六級審問官のハドソンです」 「グルーバーです。よろしくお願いします」  握手を交わす。しっかりとした、力強い手だった。 「こちらが紹介状です」 「拝見します……どれどれ……ほほー……ほー……ふーん……へー……」  顔を近づけたりのけぞったりしながら最後まで読んだ博士は、紹介状を元通りに畳んで机の上に置いた。より正確を期するなら、机の上に積まれている手紙の山の標高を更新したと言った方が良いか。他にも、書きかけの論文や書籍で机の表面は見えない。書籍の中にはかなり分厚いものもあり、これを扱うのに腕力や握力が求められる……のかもしれない。 (ドロシーは何て書いてくれたんだろう……)  紹介状、と言っていたが、一体どう紹介したのか。博士は大分納得したような顔をしている。そこまで詳細を書いてくれたのだろうか。彼はうんうんと頷きながら、 「なるほど。妖精の怪我ね。まず、妖精という生き物についてご説明しましょう。知っていることは?」 「えっと、砂糖壺と塩壺の中身を入れ替えたり、葬儀の花を一輪増やしたり、結婚式で花嫁のアクセサリーから宝石を拝借したり……と、いたずら好きと言うことを」  ジルが恐る恐る、と言う具合に口を開いた。マーサも眉を上げて、 「あとは、どちらかと言うと神の側、ということくらいです。ノーランドも、謎が多いと言っていて、専門家でなければわからないようでしたね」 「仰るとおりです」  博士は頷いた。 「一般的にはそれくらいでしょうね。さて、では身体の構造からお話ししましょうか。妖精と言うのは魔法で構成された物質の身体なので、死ぬと大気や大地の魔力に還ります」 「人間や動物の様に腐らないと言うことですか?」 「仕組みとしては同じですが、まあ物質が違いますからね。消えるのも早いんですよ。妖精の腐乱死体なんて聞いたことないでしょ?」 「そ、そうですね……」  なかなかインパクトの強い言葉だった。 「まあ、専門家の間でも、わかってるのはそれくらいです。だから当然、子供にもがれた羽なんかもすぐに消えているんです。聞いたことないでしょ? 私の宝物は妖精の羽です! って言ってる子供」 「た、確かに……」  何も考えたことはなかったが、言われて見れば、妖精の一部が残るという話は聞いたことがなかった。すでに妖精が見えないジルは、残らなくて当然だと思っていたが、何故残らないかまでは考えたことがなかった。 「さて、では次に、妖精に会う方法です。妖精に怪我をさせるのは、多くの場合子供です」 「そのようですね。子供に羽をもがれてしまう妖精の話は聞きます」  マーサが頷いた。 「その理由なんですがね」 博士は「よっこいしょ」と言いながら、机の上に積まれた書籍の一冊を取り出した。 「えーとですね、この本がわかりやすいのでご紹介しましょう」  そう言って、該当箇所を開いて二人に見せてくれた。 「『一つ、無邪気であること。二つ、善悪の区別が付かないこと。三つ、捕まえる意思がないこと』?」  ジルとマーサは顔を見合わせた。マーサは博士を見て、 「子供たちには捕まえる意思がないというのですか?」 「ないです。正確に言うと、捕まえる意思がある子の前には現れません。純粋な好奇心で、妖精に会ってみたいと強く願う子には見えます。ただ、子供も欲望がありますからね。綺麗なものを見ると、持って帰ってしまいたくなります。それは会うまでは芽生えない欲望です」 「欲望というのは天井がありませんものね」  マーサが首を振った。ジルも頷く。 「会うだけで良かったのに、会ったら欲しくなってしまうんですね……」 「まあそう言うことです。とは言え、そう言うことがある、とわかっていても、妖精はその時に『捕まえたい』と思っていない子供の前には姿を現す。ですからね、妖精は子供の無邪気さを食べているのではないかと目されています」 「そうなのですか……」 「ただ、目しているだけで本当かどうかは知りません。なんせ、我々の様に血眼になって妖精を捕まえようとしている、心の汚れた大人たちの前には姿を見せてくれませんからね。ワハハ」  博士はそう言って胸を張って大笑いして見せた。ジルとマーサは顔を見合わせる。二人が黙ったままなのを見ると、博士は自分のジョークがうけなかったことに気付いたらしい。姿勢を正し、 「とは言え、この長い歴史の中で、妖精を捕まえて売りさばく不届き者の記録は残っています」 「妖精を売りさばく?」  ジルは驚いて思わず身を乗り出してしまう。マーサが片眉を上げた。 「穏やかではありませんね」 「まったくです。このページがそうです」  ページをめくって、再び二人の前に示す。 「えーっと……『妖精の密猟は、人が妖精を見るようになってから、常につきまとうようになった問題である。その見目の美しさ、あるいは、神に近いところにいる眷属であると言うことで、手元に置きたがる人間は後を絶たなかった』ですか……博士、こちら、転写させて頂いてもよろしいでしょうか?」 「ええ、構いませんよ」  ジルは持ってきていた白紙に、本の内容を転写した。情報を熱に変えて紙に焼き付ける魔法の技術である。 「綺麗に写すわね」  マーサが写しを見て呟いた。ジルは少しどきりとしてしまう。紙の焼ける匂いがわずかに漂った。マーサは顔を上げ、 「しかし、密猟や密売をしようとする人間は、当然ですが妖精を『捕まえよう』と思っているわけですよね? でも可能なのですか?」 「妖精を閉じ込める魔法そのものはあります。彼らは、魔力の要素がかなり強い存在ですので、その魔法に対抗する魔法、と言うことですね。いわば結界です。それを広い範囲に放ってしまえば不可能ではありませんが、そんな広範囲に影響する魔法を乱発していたら、百年前ならともかく、現在ではすぐにわかります」 「ええ。やはり、直接対面しないと捕まえられないわけですよね」 「とはいえ、ときに信じられない様なことをする人間はいますからね。ええ、自分すら騙すと言いますか」 「と、仰いますと?」 「『捕まえるかどうかは、会ってから考える』」  グルーバー博士は肩を竦めた。それから、机の山脈から便箋を引っ張り出す。本の上に置いて、さらさらと何やら書き付けた。 「密猟のことを調べるなら、妖精保護団体のアレンビーさんという人がいますので紹介しますよ。とても熱心な方です。紹介続きで申し訳ありません」 「いえ、感謝しますわ」  マーサは微笑んだ。それから、はたと気付いた様に、 「それともう一つ。妖精に会う条件がその三つと言うことですが、怪我した妖精を目撃したのはいずれも大人です。審問所に相談しに来るくらいですから、少なくとも、善悪の区別はつくでしょう。これは一体?」 「ああ、それはね、怪我して気が動転して、姿を隠すのを忘れてるだけだと思いますね。ただ、見つかった、とわかると姿を消します」 「ああ、そう言うことだったんですか……わかりました。ありがとうございます」 (自分すら騙すってどう言うことかしら……)  捕まえるかどうかは、会ってから考える、など、自分が密猟、密売をするという自覚のある人間に持てるものなのだろうか。  少しよれた封筒に入った紹介状を受け取って、二人はグルーバー博士の家を出た。博士は、二人の姿が見えなくなるまで玄関で見送った。
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