妖精を売る男

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 ヘザーに見せてもらったリストを転写して建物を出ると、すっかり日が暮れていた。馬車に乗り込み、審問所に到着する。ラボに直行すると、ドロシーが鼻歌を歌いながら何かの分析をしていた。 「ドロシー、まだ帰らないの?」 「あら、キャロライン、ジル、お帰り。あんたたちこそ、まだ帰らないのね。あたしはごらんの通りよ。何を持って帰ってきたの?」 「妖精の資料と、妖精の密猟について怪しい人間のリストよ。ジルが転写してくれたから、定着をお願い」 「はいはーい」  転写魔法というのはあくまで一時的なものだ。この上から、更に固着させる魔法をかけなければ、数日もすれば落ちてしまう。転写と違って、やや煩雑で繊細な技術であるため、研究所などで専門家に頼む必要がある。  ドロシーが資料を持って奥に引っ込んだ。マーサは時計を見る。午後七時を過ぎていた。 「エドとロイはまだいるかしら」 「いるんじゃないでしょうか」  ドロシーから定着してもらった資料を受け取って、班の部屋に戻ると、案の定エドワードとロイは残っていた。ずっと資料を探していたのだろう、エドワードの方は目頭を揉んでいる。ロイの方は平然として紙をめくっていた。 「お疲れのようね、エド」  マーサが声を掛けると、目を細めたエドワードが渋い顔で、 「ああ、お帰りなさい、マーサ、ジル。どうでしたか?」 「妖精の専門家から色々と興味深い話を聞いてきたわ。そちらは?」 「怪我した妖精を目撃した人から、不審者の特徴について詳細を確認してきました。そうしたら、一人浮上しましたよ」  そう言って、まとめた資料を差し出す。 「ブライアン・ジョンソン……前科者リストに載っていたの?」 「まあ、それがエドの目がぶっ壊れてる理由なんだけどな。この審問所の管轄のリストには載ってなかった。エドってば可哀想に、文字拾いの魔法で引っかからないのは自分の腕が悪いからだと思って全部さらったんだぜ。俺も手伝ったけど」 「大変だったわね……」 「載ってないわけないと思ったんですよ」  エドワードは言い訳をするように言った。まだ目頭を押えている。 「そんな、複数箇所で不審者と言われるほど不審な動きを平然とするような奴、絶対に前科者だと思ったんです」 「ま、その前に別の手を打った方が良かったんだよな。ブライアンの奴は流れ者だ」 「そうでしょうね。今回の件は、妖精の密猟に絡んでいる可能性があるわ。つい最近、この辺を狩り場にしたのね」  マーサとジルが、グルーバー博士とヘザーの所で聞いてきた話をかいつまんで伝えた。エドワードは端正な顔を嫌そうに歪め、ロイは猫に似た緑の目を瞬かせる。 「気持ち悪いな」  ロイが言い放った。 「そう。気持ち悪いのよ。それで、ブライアンの方は? 前の居住地に照会してるわよね?」 「もちろんです。俺は目が……ロイの言葉を借りるなら『ぶっ壊れた』ので彼に頼みました」 「鏡面通信って便利だよな。早く一般家庭にも普及して欲しい」  専用の鏡を用いて、遠隔地との通信を行なう魔法である。この「専用の鏡」と言うのが、職人の手作業でなくては作れないため、普及率は低い。審問所や役所などの公的機関に置かれている。 「そしたら、まあ出るわ出るわ。三箇所で照会したけど、かなりの職と町を渡り歩いてる」 「辿るのが大変だ。転職が多いこと自体は良いんですが、どうも、方々で寸借詐欺や盗み、そう言ったことを繰り返しては捕まる前に逃げてきているらしいです」 「今回の件で彼が審問に掛けられた場合」  マーサがつまらなさそうに言った。 「余罪が魚の鱗みたいにぽろぽろ出てきそうね」 「俺たちが鱗取りってわけ? まあ、要するに、ここの前科リストに載ってなくて当然ってことだよな。マーサが言ったみたいに、最近来た奴だ。エドはとんだ骨折り損」 「うるさい……手伝ったお前もそうだからな」 「俺が手伝って嬉しかっただろ?」 「まあ……それはそうだ。ありがとう」  むすっとしながらも、ロイからの好意をはねのけなかったり、彼への好意を隠さなかったりするあたり、エドワードとロイは、傍から見るより親しいのだろう。ジルは少し羨ましく感じた。 「それで」  マーサが話を戻した。 「今回は妖精の密売、と言う訳ね」 「前の町での罪状は、妖精密売じゃなかったね。詐欺と恐喝だった」 「罪悪感がない、ということなら、彼は間違いなくそうでしょう」 「罪悪感がないなら、善悪の区別がついているかも怪しいわ」 「捕まえる意思がない、というのはかなり微妙ですが……」  ジルが恐る恐る口を挟むと、残りの三人は沈黙した。 「……そうだな。捕まえるかどうかは、会ってから考える、というのも……俺には無理だ」  エドワードが首を横に振った。ロイは苦笑しつつ、 「俺はできるかもしれないよ。でも、見つけた妖精を売り飛ばすってことが頭にあるわけだから、かなり難しいと言わざるを得ない」 「詐欺師みたいなことを言うな。お前、そう言うことばっかり言ってると、追い出されるぞ」 「でも、怖いとか嫌だとか、そう言う気持ちを殺さないといけない時もあるのが審問官だろ」  今度はエドワードとジルだけが押し黙った。マーサはやれやれと首を横に振り、 「審問官の心がけについてはおいておきましょう。別に今日明日査定があるわけではないし、私たちは勤めを果たしています。二人も、別にわがままで審問を滞らせているわけではないわ。ロイ、ブライアンの住所は?」 「もちろん。わかってますよ。夜討ち朝駆け、ご随意に」  歯を見せて笑い、ウィンクする。マーサは眉を上げて、 「明日、朝一で準備をしましょう。事情を他の班に説明して、私たちは明日の相談業務から外してもらいます」 「もし奴が本当に密猟に手を染めているとしたら」  エドワードが顔をしかめた。 「捕まっている妖精は証拠だ。俺たちが保護、保管する必要がある。妖精を捕まえておく対抗魔法を用意しないと」 「ドロシーに依頼するわ。そう言う籠が、ラボにあった筈よ。では残りは明日。今日は解散。ジル、私たちは、聞いた話をまとめてから帰るわよ」 「は、はい」 「手伝いましょうか」  エドワードが言った。 「いいえ、大丈夫。あなたは、その、目が『ぶっ壊れてる』んだから……」  マーサが少し言いよどむと、ロイが手を叩いて大笑いした。 「はっは! こりゃ良い! 傑作だ! だとよ、エド。俺が手伝いで残るから、お前さんは帰って目を修理しな」 「皆してからかう……わかりました、マーサ。お言葉に甘えます」 「明日よろしくね」 「はい、もちろんです」  エドワードが帰り、グルーバー博士やヘザーから聞いた内容をまとめている最中、マーサが離席した。廊下に出てドアを閉める彼女を見て、ロイが笑みを浮かべながら身を乗り出す。 「なあ、ジル、マーサのこと、嫌いか?」 「と、突然なんて事を言うんですか!」 「おっと危ない」  動揺しすぎたジルが倒しそうになったインク壺を、ロイが押えた。手を離すと、白い掌にインクがついて黒くなっている。 「ごめんなさい、手が汚れてしまいましたね」 「ああ、良いの良いの。気にすんなって。それで、どうなんだよ」  吸い取り紙を数枚むしり取り、汚れた手を拭いながらロイはもう一度尋ねる。 「……わかりません」 「そっか」 「ロイから見て、私はどうですか? マーサを嫌っているように見えますか?」 「それを気にするからジルは良い奴だよな。俺から見たら、ジルはマーサを怖がっているように見える」 「はい」  それはあるかもしれない。畏怖の感情はある。子供の頃怖かった、学校の先生に似ているかもしれない。間違いを言ったら叱られるような。間違えるのは悪いことだと、人前で叱責されて、烙印を押されてしまうような。 「言い方はキツいけどな。でも、あのおばちゃんも可愛いところあるんだぜ。この前、テーブルをひっくり返したらしいんだけど、その理由が──」  ドアが開いた。二人が同時にそちらを見ると、マーサが目を細めて立っている。ロイを見ていた。 「ロイ」 「悪かったよ。言いませんって」 「ならよろしい。ジル、今のは忘れなさい」 「は、はい……」  そう言えば……今日、妖精のことを聞きに行ったときに、ドロシーも言っていた。それくらいでテーブルをひっくり返すな、と。 (一体何があったのかしら……)  マーサは眉間に皺を寄せているし、ロイはにやにやするばかりだ。ジルの疑問は解消されないまま、審問所の夜は更けていった。
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