妖精を売る男

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 翌日。  マーサが他の班に説明して相談業務から外してもらい、ドロシーに依頼して妖精保護のための檻を借り受けた。小型犬の成犬が入りそうなくらいの大きさがある。 「集合呪文と連動して、檻に吸い込まれるような護符を入れておくわ」 「そ、そんなものまであるんですか……」  ドロシーが、ぽんと檻の天板を叩きながら説明すると、ジルはしげしげと中を覗き込む。 「何でもかんでも吸い込まないように、力は弱めだけどね。誰かの家に閉じ込められている妖精を集めるなら充分だと思うわ」 「私とエド、ロイで、強制的に妖精を引きずり出します。恐らく、動けないように何らかの魔法で縛っている筈。それができたら、ジルが集合呪文を掛けて頂戴」 「わ、わかりました」 「よし、行こう」  エドワードが時計を見た。 「あまり気分の良い仕事じゃない。妖精を早く解放しないと」  ブライアンの住まいは、町の外れにある小さな一軒家だった。マーサがノックすると、中からはこざっぱりした風情の、若い男性が出てくる。ジルより少し年上だろうか。明るい茶髪に鳶色の目をした、愛想の良い青年だった。 「おはようございます……おっと、セールスではなさそうですね。こんなぼろ屋になんのご用ですか?」 「ブライアン・ジョンソンね。あなたに妖精密猟の容疑が掛かっています。ご自宅を捜査させて頂きます」  マーサが言い放つと、ブライアンは全く動揺を見せないまま、にっこり笑って見せる。 「どうぞ、上がってください」 「マーサ……」  ジルがマーサを見ると、マーサは目を細めた。 「お邪魔しまーす」  ロイが意に介さない様子で上がり込む。マーサ、エドワードと続き……。 「あなたはお上がりにならないので?」  にこにこするブライアンから、圧力のようなものを感じつつも、ジルも最後に足を踏み入れた。 「雷神トルリマの名において命じる」  エドワードが祈祷書を開いて、リビングの入り口に立った。逆さ剣のアミュレットを手に巻いている。 「この場にいる、神の足跡に連なるもの。彼らの姿を私に見せろ。縛るものよ、去れ!」 「無駄ですよ。妖精なんていないんですから」  ブライアンは廊下にもたれかかり、にやにやしながらエドワードの後ろ姿を見ている。彼の言う通り、反応はなかったようだ。寝室を見てきたロイも首を横に振る。 「何も出てこねぇ」 「だって、いないですからね」 (そうかしら……)  ブライアンは、まるで審問官たちが骨折り損をするのを楽しんでいるように見える。 (私たちが探しているものを持っている顔に見える……)  そして、それを上手く隠した顔だ。エドワードやロイも考えたことは同じらしい。ブライアンの顔をじっと見つめている。  だが、それも見つけられなければただの憶測だ。大昔、無実の人間を、でたらめな審問に掛けて、山ほど処刑した、狂った異端審問官が横行した時代があったと言う。彼らと自分たちは違う。 「ちょっと! 誰か来て頂戴!」  台所からマーサの声がすると、ブライアンの表情がわずかに強ばった。 「何です、マーサ」  エドワードが大股に向かった。一番背の高い彼は歩幅も長く、意識して大股になるとジルはすぐに追いつけない。 「この保存庫よ」 「そこは肉を保管しているだけですよ」 「それは何の肉かしら?」  ブライアンの釈明に、マーサが切り返す。エドワードとマーサが、床に設えられた保存庫の扉を開けると、地下へ続く階段が現れる。 「ロイ、残って。ジルは来て」 「はいよ。おっと、変な気を起こすんじゃないよ? 俺はこれでも審問官だからな」  ブライアンは明らかに気色ばんでいる。ロイが不穏な笑みを湛えた。それを見て、ジルは少しどきっとしてしまう。あの陽気なロイがこんな顔をするなんて! 「ジル」  マーサに呼ばれて、ジルは慌てて階段を降りた。ドロシーから借り受けた、妖精の檻を持って。  保存庫の中は薄暗かった。確かに、食料以外何も置いていない。けれど、囁き声が聞こえる。複数の人の声がする。けれど、よく聞くとそれはジルの知っている言語ではない。いや、どこの国も使っていないだろう。  人の使う言葉ではない。 「ここね」  マーサは頷いた。逆さ剣のアミュレットを手に巻く。 「雷神トルリマの名において命じます。この場にいる、神の足跡に連なるもの。彼らの姿を私に見せなさい。縛るものよ、去れ!」  魔力の動きを肌で感じる。効果があったのだ。 「……やっぱり呪縛再現か!」  エドワードが呻いた。呪縛再現。本来なら、自然発生してしまう、人や物、妖精などに対する魔法的な制限を、人工的に発生させる魔法だ。マーサはそれに対する対抗呪文を唱えたのだ。 囁き声が大きくなる。妖精が呪縛から解放されたのだ。このままでは行けない。妖精達が逃げてしまう。次はジルの番だ。 「雷神トルリマの名において命じます!」  緊張のあまり、彼女は大声で呪文を口にする。 「この場にいる、神の足跡に連なるものは、私の元へ集まってください!」  檻を開く。甲高い、小さな囁き声がわめき声に変わって、一斉にジルへ飛びかかった。 「……ル、ジル」  徐々に意識が浮上して行く。誰かに呼ばれている。肩を叩かれている。 「ジル、しっかりしろ」  肩を揺さぶられて、ようやく意識が戻った。自分がどこに、何をしに来ていたのかを思い出すと、彼女は目を見開いて、跳ね起きる。その肩を両手で止められた。エドワードだ。 「おっと、急に起き上がると身体に良くない」 「よ、妖精は!? 私、檻に入れてない!」 「私とエドで入れました。一匹も逃がしていないわ」  冷静な声を聞いて、ジルは自分の心臓がきゅっと縮まるような気分になった。自分はブライアンの家の廊下で寝かされていたようだ。声のする方は玄関で、そこにはマーサが立っている。 「妖精はだいぶ怒っていましたからね。集合呪文を掛けたあなたに襲いかかったのよ」  本当はそのまま檻に吸い込まれる筈だったのだが、妖精の怒りの方が強すぎたせいで、檻に仕掛けられた護符の誘導を振り払ったらしい。集合呪文を掛けられて、じゃあ集合してやろうじゃないか、とジルに飛びかかったようだ。 「あなたに気を取られている間に、護符の方を一時的に強化して吸い込ませました。向こうからしたら、ブライアンも私たちも変わらないわね」 「ブライアンは……」 「逃げようとしたからロイが取り押さえた。なおも逃げようとするから、マーサが……その、障壁で殴った」  エドワードが言いにくそうにマーサを見る。 「殴ってないわよ」  マーサが鋭い声で抗議した。「向かってくるから、障壁を展開しただけよ(※2)。頭をぶつけたのは彼が勝手にしたことでしょう」 「わかりました。とにかく、審問所に戻りましょう。ジル、立てるか?」 「はい……」  エドワードに支えられて、ジルは立ち上がった。 「申し訳、ありません……」  妖精を保護するどころか、その妖精から袋叩きに遭ってしまうだなんて。 (情けない)  泣きそうになる。けれど、自分はもう大人なのだ。泣いてはいけない。今日は帰宅してから、たくさん泣くことにしよう。 「エド、ジルを医務室へ。倒れた時に怪我をしている可能性があるわ。異常がなければ紅茶を。審問には私とロイで入ります」  審問所に戻ると、マーサはてきぱきと指示を出した。ロイは頷くとブライアンを係に引き渡した。エドワードも納得した様子で、 「わかりました。さ、ジル、行こう」  エドワードがジルの肘に手を添える。ジルはそれを押しとどめて、 「そんな、私、一人で大丈夫です」 「駄目です。途中で倒れたらどうするのですか。こんな寒い建物で。常に誰かが通りかかるとも限らないのよ。わかったら行きなさい」 「ですが……」 「エド、連れて行って。ロイ、行くわよ」  うろたえているジルをエドワードが連れて行く。ロイはそれを見送ると、肩を竦めて、 「マーサ、もうちょっと優しく言ってやれよ」 「事実です」 「おっかねぇおばちゃんだな」 「あなたも口を慎みなさい。普通は上司に『おっかないおばちゃん』なんて言いませんよ、まったく。同僚の疲れ目だって『ぶっ壊れる』なんて言うの、あなたくらいよ」 「マーサだって真似したくせに」  マーサは眉を上げてロイを見た。ロイも同じ表情を作って両手を軽く挙げる。 「ジル、自分のことすごく責めるんじゃない?」 「どうして? 妖精から袋叩きに遭ったのよ。ああなって当然です。何故それで自分を責めるの? そんな必要、ないわ」 「マーサはそうかもしれないけどさ。まあ、ぶっちゃけると、俺は野郎とジルに話をさせたくないね」 「気が合うわね」  優しいジルは、罪悪感のないブライアンの言葉にも、丁寧に耳を傾けてしまう。優しいことは彼女の財産であるが、それが裏目に出ることもある。 「エドとも話をさせたくないわ」 「言うに及ばず。オーガも逃げ出す人でなしと、人の痛みがわからねぇ脳天気が丁度良いのさ」  ロイは不敵に笑って見せる。マーサは鼻を鳴らした。 「行くわよ」 「おうよ」 ※作者註 (2)本来なら障壁(平たく言うとバリア)を展開するにも呪文が必要だが、呪文を省略する鉱石のアイテムを1人1個持っており、各々が最もよく使う魔法を省略している。マーサはこのように捕縛にも使える障壁の魔法を鉱石に入れている。
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