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それ、お母さんのお腹
私が初めてそれに触れたのは、正しくはそれに触れられたのは、月のように白い桜の花びらが舞う夜のことだった。
この春、小学校に上がったというのにお漏らしの癖が治らない私を母は優しく慰めてくれた。
が、それはうわべだけで、内心母はそんな私をうっとうしく思っているのを私は幼いながらも知っていた。
「大丈夫、いいのよ」
母は私のお尻を拭きながら、赤いマニキュアが施された長い爪を、すでにでっぷり脂肪がついた私のお尻に突き立てた。
ぎゃっ。
私が無様な声を上げると、母は神妙な顔で喜んだ。
これが本当の私の母親だったら、私の性格は今以上に歪んでいたのだろうか?
母は継母だった。
こんな継母死んでしまえばいいのに。
ずっと思っていた。
そうしたら、継母は本当に死んだ。
けれど継母は一人では死なず、私の父も道連れに死んだ。
自動車事故だった。私が中学二年生になったばかりの春だった。
初めてのそれについては鮮明に覚えている。
今でも目を閉じれば、ほら、すぐにそれを感じることができる。
人の記憶で一番頼りないのは視覚だと思う。
視覚に比べて視覚以外の五感、嗅覚、聴覚、味覚、触覚はまるで時間という概念を持たないかのように、それらに触れたとたん一瞬で人々を過去へと引き戻す。
視覚は五感の中で一番貧弱なくせに、一番幅を利かせている。
そのせいで私の人生は台無しだ。
だから視覚が存在しないところでのそれとの交わりは私を恍惚とした幸福感で満たしてくれた。
それは温かく優しく柔らかく、天国というところが本当にあるのなら、それはまさにそこだった。
だが本当の天国は光で充ちているのだろうが、私のそれは違った。
私の天国、それは、暗闇だった。
その夜、継母は私を布団へは戻さず、納戸へ連れて行った。
四畳半の窓のない部屋で、大きな桐のタンスがあって、中には私が生まれる前に死んでしまった祖母の着物が入っていた。
「布団をきれいにしてくるから、ここで待ってなさいね」
そう言ったきり、継母は朝まで戻ってこなかった。
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