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大神さんの正体と私の前世
「オレには生まれる前の記憶がある。いわゆる前世ってやつだ」
「前世……」
「五歳くらいの時だ。自分がオオカミだったって気付いて……そのせいで少し情緒不安定になったりしたよ」
「オオカミ……オオカミですか!?」
私は声がひっくり返るくらい叫んだ。
「そう。オオカミだ。何故か生い立ちから死ぬまで、事細かく覚えていてね。その中でも一番鮮明な記憶はあるウサギとの出会いなんだ」
大神さんは隣にいた私を引き寄せると、愛おしそうにクンクンと嗅いだ。
「お、大神さん、匂わないで下さいっ!」
「この匂い……忘れるもんか……生まれ変わっても……」
「お……え!?」
なんとか逃れようともがいていた私は、その言葉の意味をやっと理解した。
彼は私がウサギだと知っている?
「大神さん。私は……」
「君はウサギなんだよ。あの洞窟でオレが約束した……そして……その命を奪った……」
やっぱり知っていた!
でも、それならどうして最初に言ってくれなかったんだろう……。
約束を果たしに来たと、会いに来たと言ってくれれば勘違いしなかったのに……。
……いや、言えなかったんだ……。
私は自分の前世の記憶を誰にも喋らなかった。
頭がおかしいと思われるかもしれなかったからだ。
大神さんが、私に言わなかったのも、多分同じ理由だろう。
「はい!ウサギです!私、あの時のウサギですよ?オオカミさん!」
「え……」
大神さんは目を見開いた。
私が覚えていることに驚いているようだ。
「雨沙……もしかして全部覚えてる?」
「はい。その節はどうもお世話になりました!」
畏まって言うと、大神さんは大爆笑した。
「命を奪ったヤツにお礼なんて!思えばあの時から変なウサギだったな。喰ってくれって言うし、妙に肝が座ってて……」
「そうですか?……んー、でもそうかもしれませんね。野生動物としては最後まで死と抗うのが普通なんでしょうし……」
でも、そうしなかった理由が今、はっきりと思い出せる。
初めて出会ったオオカミさんに、私は全く恐怖を抱かなかった。
彼は傷付いていて、弱っていたけど、なにか為さねばならない事があるように見えた。
醜く朽ち果てる寸前の私が、オオカミさんの糧になれば、彼はその使命を果たせるかもしれない。
そう思うと、何故か嬉しくなって身を差し出したのだ。
「……約束を覚えているか?」
遠くに思いを馳せる私に、突然大神さんが言った。
「約束というのは、最後に聞いた望みのこと、ですよね?でも、あれは、また会いたいって言っただけで、幸せにしてください!なんて一言も……」
「幸せにする、ってのはオレの勝手な願望だ。君のお陰で誇りを守れたし、群れを全滅させた奴に一矢報いて死ぬことが出来たんだ……でもそれだけじゃない。あの洞窟で会った小さい君の姿に……オレは心惹かれて堪らなかった」
「大神さん……」
「絶対に探すって誓ったんだ。探しだし、今度こそ幸せにして、溺れるくらいの愛を君に捧げようと思っていた」
そう言って、大神さんは私のおでこにキスをした。
「愛を捧げる」なんて、アメリカ生まれの彼ならではの表現を少し恥ずかしく感じながら、私は笑った。
「私で合ってたんですね?約束の人」
「そうだよ。オレは君の匂いを間違えない、絶対に」
「そっか……ねぇ、今日は帰りたくない……なんて、思ったら……ダメ?」
すると、私の腕を掴む彼の手に力が入った。
「ダメなわけない……でもオレは……君を傷付けるかもしれない」
「傷付ける……?」
「……最後の時、命を奪った感覚がまだ残ってる。君もオレに触れられることで、死の瞬間を思い出すかもしれない……」
大神さんは辛そうに俯いた。
そうか……彼がキスしかしなかったのは、私のためだったんだ。
優しいオオカミさん。
実は私、死の瞬間、とても幸せだったんですよ?
全然苦しくなかったんですよ?
そう言おうとしたけど、涙はどんどん溢れてくるし、唇も震えて何も言葉にならない。
だから私は諦めて、大神さんに力の限り抱きついた。
「優しくないオオカミさんも、好き」
「ほんとに?後悔するぞ?」
大神さんは安堵したように微笑むと、ゆっくりと私の腰に手を回す。
後悔なんてしないわ。
そう紡ぐ筈の唇を塞がれて、彼の首に手をかけるとゆっくり私の体はソファーに沈み込んでいった。
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