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君に教えられたこと(オオカミ)
外ではまだ雨が降っている。
オレは空腹を抱えながら、たった今奪った命を見下ろしていた。
変なウサギだった。
だが、その生き様は潔く、食物連鎖の上位にいるオレでさえ一瞬気圧された。
もう動かないその体を鼻で撫で、ついさっき出会った時のことを思い返してみた。
洞窟でウサギを見つけた時、少しでも怯えればすぐに喰ってやろうと思っていたが、アイツは真っ直ぐにオレを見た。
赤い不思議な目は覚悟に満ちて、こっちが不安になるくらい堂々としている。
……美しいな。
そう思ってしまったんだ。
同じ種族でないものに惹かれるのは初めての事で、オレは戸惑った。
これが同じオオカミならば、何の不思議もない。
それが、よりによってこちらの食料とするウサギだなんて……。
オレは少し自分を恥じた。
誇り高いオオカミがウサギなんぞに惹かれるとは!
そんな気持ちを抱えながら、オレはウサギを洞窟から追い払おうとした。
しかし……そのウサギはもう死ぬしかない体だったのだ。
「喰われにきたのです」
と、凛と言う姿。
痛みを堪えて笑う姿。
そのすべてに惹かれていくのを止められない。
だが、出逢った瞬間死に別れるその運命もわかっていたのだ。
「何か望みはあるか?」
叶えられる願いなんてない。
ほんの気休めであった問いを、ウサギは儚く微笑んで答えた。
またオレに逢いたい、と。
だから、オレは言った。
次の世で出逢えたらなら、必ず探すと。
その言葉の裏には、それだけではない秘めた思いもあったのだが。
それから暫くして、オレは洞窟の中に穴を掘った。
深く深く。
他の獣に掘り起こされることのない深い穴を掘った。
その中にウサギを横たえ、ゆっくりと土をかける。
……喰ってくれ、と言われたがオレにはどうしても出来なかった。
喰えば力も湧くだろうし、体力も回復する。
しかし、ウサギから貰ったものはそれよりもずっと尊いものであった。
姿が見えなくなるまで土をかけ、上に丸い石を置き墓碑にする。
そして雨の中に出て、野草の中から小さく可愛い花を一輪摘むと、墓碑の上に添えた。
「また、逢おう。探してやる、絶対にな!」
オレは雨の中を飛び出した。
行き先はこの鼻が覚えている。
群れの仲間を滅ぼした憎むべき銀狼。
ヤツの元へとオレは駆けた。
森でオオカミは無敵である。
唯一の敵は別群れのオオカミで、ヤツらとは幾度となく抗争を繰り返していた。
オレは群れのリーダーで、五十匹のオオカミを率いていたが、ある時、銀狼達の強襲を受け仲間は散り散りになった。
そして、少数になったところを襲われて仲間はオレを残して全滅したのだ。
ウサギと出逢ったのはそんな時である。
意志も決意も心も折れ、自分の不甲斐なさに自暴自棄になっていた。
ウサギはそんなオレに、大事なものを思い出させてくれた。
野垂れ死ぬだけだった残された生に、彼女は自分の意志で引導を渡したのだ。
恐れず、泣かず、喚かず。
最後の最後までなんと潔いことか。
それなのに、オオカミたるオレが、同じオオカミの銀狼におびえて暮らすなんて出来はしない。
その瞬間、オレの尊厳は回復し新たな誇りが生まれた。
銀狼と戦おう。
例え勝てなくとも、一矢報いることが出来れば、仲間の弔いは出来る。
誇り高い死を自分で選ぼう。
荒涼とした草原で、銀狼の群れを見つけて戦いを挑んだオレは、体の骨を砕かれて敗れた。
しかし、同時にヤツの足を噛み砕くことに成功し、何とか復讐を果たすことが出来た。
野生の動物が足をやられるのは死活問題。
程なく銀狼も、どこかで最後を迎えるだろう。
銀狼は足を引き摺りながら群れと去り、残されたオレは草原で死を待った。
暫くして、雨が降ってきた。
それは冷たくない優しい雨だった。
オレは心の中で、先で待つ白く丸い背中を想像する。
触れると気持ちが良かった毛並み。
それを思い出すだけで顔が綻び、とても幸せな気持ちになった。
「待っててくれよ……必ず……」
呟くと、オレは目を閉じた。
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