星空の下、叫ぶ

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星空の下、叫ぶ

 午後十一時。  学校の屋上。  冷えた身体。  僕はブレザーのポケットに忍ばせていたカイロを左手でぎゅっと握った。寒さのせいで感覚が鈍っていた指の先がじんわりと熱くなる。それからその温もりは手のひらに広がっていき、不安に曇っていた僕の心をほんの少し和らげてくれた。  予報では、あと五分。  今日は数年に一度の流星群が見られる日。天気は朝から雲一つない晴天で、それは夜まで続いていた。だから、僕は帰ったふりをして学校に残った。どうしても、流星群を学校の屋上で見たかったからだ。  両親には塾の自習室で勉強するから遅くなると嘘を吐いた。共働きで忙しい両親は、僕の帰りがちょっと遅いくらいじゃ心配しないだろう。怪しまれないように、この日のために実際に何日も塾で自習を繰り返してきたから……多分、バレない。  学校の正門はとっくに閉まっているけど、そんなのは乗り越えてしまえば問題無い。飛び越える時に大きな音を立ててしまうかもしれないけれど、学校の周りから民家は離れているから誰かに見つかることも無いだろう。田舎の高校で良かったなと思う。 「……あ」  きらり。  流れ星が輝いた。  僕はスマートフォンの画面を見る。予報より二分程早い。  流星群が始まった!  深く暗い紺色の夜空に、星たちがひゅんひゅんと流れては消えていく。僕は無意識に右の手のひらを夜空に向けて広げた。この手の中に落ちてくるわけなんて無いのに。けれど、一粒くらい、一かけらくらい、儚い光が掴めそうな気がしたから。 「……」  僕は両手をポケットに仕舞って、星が流れる空の下を歩いた。屋上の落下防止の柵の前に立って、赤く錆びたそれに仕舞ったばかりの両手で触れる。ぎゅっと握れば全身にぞわりと力が入るのを感じた。  僕は柵を掴んだまま、一度大きく深呼吸をした。冷たい空気が肺を満たす。目の奥がキンと痛くなった。  ――流れ星って見たことある?  ――無いなー。  ――願い事言うとさ、叶うっていうじゃん? 超ロマンチック!  クラスの女子の会話だ。  僕は教科書の予習をするふりをして、その会話を聞いていた。馬鹿馬鹿しい。少し前の僕ならそう思って聞き流していただろう。けれど、その時の僕は、それを流すことが出来なかった。なぜなら僕には、どうしても、叶えたいことがあるから――。 「……」  僕ひとりの屋上。  誰も居ない校庭。  促すような流星。  僕は目を瞑り、少しだけ顎を上げて、出せるだけの大声で叫んだ。 「上長先生の恋人になりたいーっ!」  屋上に僕の声が響く。やまびこみたいにぼうぼうと空間が揺れた後、数秒してからまた屋上は静寂を取り戻した。  僕はその場に崩れ落ちる。心臓がばくばくとうるさく鳴って息が上手く出来ない。誰にも聞かれていないのに、恐ろしいほどの羞恥が背中を這うのを感じた。 「あ……はは、言っちゃった……」  柵に凭れて両足を投げだす。頭上を見れば、まだ流星群は続いていた。  僕は、上長先生のことを思い浮かべた。先生。僕の、憧れで、大好きな人。  英語を教えていて、発音がうっとりするくらい綺麗。点呼を取る時に僕の名前を呼ぶ時の、少し低くて柔らかい、アナウンサーみたいな声が好き。分からないところを、ちゃんと理解するまで教えてくれるところが好き。  前にこんな会話をしたんだ。 『先生、留学してたんですよね? 今度、海外旅行に連れて行って下さいよ』 『お前、俺を通訳に使うつもりだな?』 『そんなこと無いですよ。先生と旅行を楽しみたいだけです』 『本当かー? まあ、深山となら良いけどな。真面目だし。卒業してからなら』 『本当ですか!? 約束ですよ?』 『はいはい。約束な。それじゃる、席に着けよー』  先生は冗談のつもりだっただろうな。けど、僕は本気だった。先生と一緒にいろいろな景色を見るんだって、たくさん想像した。 「先生……」  先生も僕も男だから、僕の恋の願いが叶う確率はかなり低いかもしれない。  けど僕は、今夜、どうしても叫びたかった。そうでもしないと、心が、恋の重みでどうにかなってしまいそうだったのだ。  思いをぶちまけた僕の心は、少し軽くなった。さて、目的を達成したし帰ろうかな、と立ち上がろうとした時、屋上と校内を繋ぐ分厚い鉄の扉が、ぎい、と音を立てて開いた。僕は息を呑む。  誰か、居たのだ。  これは補導されるに違いない。そう思って身構えた時、僕の耳に、大好きな、あの声が飛び込んで来た。 「星、綺麗だよな」 「せ、先生……」  上長先生。  まさかの人物の登場に、僕は緊張して動けなくなってしまった。先生はそんな僕の隣までやって来るとゆっくりと腰掛け、僕と同じように柵に凭れて夜空を見上げた。 「流星群、今日だったんだな。もう終わりそうだけど」 「あ、はい……あの、どうして、ここに……?」 「残業してて帰ろうと思って外に出たらさ、声が聞こえたから」  声!?  それってもしかして、いや、もしかしなくても、僕の告白の声……。  終わった。  僕は俯いて、先生から目を逸らした。先生は空を見上げたまま、良く通る声で言う。 「流れ星に願いを言うってやつだな。深山って意外とロマンチック?」 「……」 「俺も何か願おうかなー。あー、早くしないと終わっちまう」 「……」 「そうだな。うーん……深山が、無事に高校を卒業しますように。あ、終わった」  先生の声に、僕は顔を上げて空を見た。本当に流星群は終わっていて、さっきまで眩しかった夜空はまた深い紺色に包まれている。 「自分の願いは言わなくて良かったんですか?」  震える声で僕は言った。先生は微笑む。 「だってさ、卒業してくれなきゃ行けないだろ? 旅行」 「……えっ?」 「約束しただろ? 海外行くって」  僕は驚いて声が出なかった。まさか、あの会話を覚えてくれていたなんて思ってもみなかったからだ。それに、ちゃんと「約束」として認識されていたことが嬉しかった。また心臓がばくばくと音を立てる。ありがとうございます、と言いたいのに上手く言葉が紡げない。そんな僕に、先生は「けど……」と小さく呟いた。 「元生徒と行くのと、恋人と行くのとでは、意味が変わってくるな」 「はい? えっと……?」 「だって深山、俺のこと好きなんだろ?」  ストレートな先生の言葉に、僕は「ひっ……」と変な声を漏らす。先生は笑いながら僕の頭を撫でた。 「告白、聞こえちゃったし」 「あ、その……ごめんなさい! 不快にさせてしまって……」 「不快? 嫌じゃないよ。好きになってもらって嬉しくないわけない」 「僕は、その、男なのに?」 「俺はそういうの気にしないタイプの人間」  暗闇の中でも良く分かるくらい、先生は優しい笑顔を見せてくれた。僕は心を落ち着かせるために深く息を吸って吐く。信じられない。拒絶されると思っていたのに、まさか嬉しいと言ってもらえるなんて信じられなかった。  僕は恐る恐る先生に言った。 「先生は、僕のことをどう思っているんですか?」 「深山のこと? 可愛い生徒」 「それだけですか……?」 「さっきまではそうだったけど、今はなー。何て言えば良いんだろうなー? 正直、どきどきしてるよ」 「その……お付き合いは……?」 「それはまだ駄目。教師と生徒だろ」 「ああ……」 「けどさ」  僕の肩に手を置いて、先生は真っ直ぐな目で言った。 「卒業してからなら、自由だろ?」 「っ……」  片手だけで抱き寄せられる。 「卒業までにさ、もっともっと、俺のことを夢中にさせてくれよ」 「は、はい!」 「海外、何処にするかも決めような」 「はい……」 「……さて、と」  先生は僕から距離を取って立ち上がり、僕にも立つように促した。 「家まで送るから早く帰るぞ。これからは卒業前に危ないことはしないように」 「今日のことは……」 「二人だけの秘密、な」  僕たちは屋上を出て、静寂の校内を通って外に出た。ところどころに立っている街灯のオレンジだけが、暗闇を照らしている。  周りには誰も居ない。  こんな日は、もうきっと無い。  好きな気持ちが溢れている僕は、先生の腕に飛びついて思いっきり叫んだ。 「先生! 大好き!」 「分かった、分かった」  早く、夢中になって欲しい。  もっと、意識して欲しい。  先生は大きな手で僕の右手を握ってくれた。星に願った「恋人になること」の願いはまだ叶わないけど、これは大きな前進だ。  卒業まで、あと少し。  卒業したら……楽しみだな。  繋いだ手をぎゅっと握る。僕はさりげなく先生に凭れて、高校生活の中で一番幸せな下校時間を噛み締めた。
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