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あなたが好きなもの私は全部きらい
本当に見たいの?
言いかけた言葉を飲み込む。飲み込んで、「そんなつまんなそうなの」の一言を胸の内だけで付け加える。
今度のデートは映画を見ようと、なんだかものすごい発見をしたみたいにはしゃいで話していた恋人の姿を思い出す。何を見るのと訊いた私に、「そのときの気分で決めよう」と答えた恋人を。
ここは東京でも大阪でもないんだよ。
郊外に建つ巨大なショッピングモールに車でわざわざ出かけて行くんだよ。
選ぶも何も、選択肢にあるのはCMや番宣やらバンバンやってる全国公開の作品ばっかりで、時間が合わなきゃモールの中をぶらついて暇を潰すしかないんだよ。
だから決めてよ。時間を調べるから。
色んなことを、ちゃんと決めてよ。
あのときに言わなかった言葉がまた、今、言うべき言葉みたいに喉元をせり上がってくる。
車を出すのも私でしょう。映画だって、その日になって見たくないと言い出すくらいには自分が気分屋だってこと、三十近くなったいい大人がまだ知らないんだね。
どんどん、溢れてくる。
気分屋の恋人が一応、宣言通り映画を見るつもりで来てくれたことに安堵していた自分。免許のない恋人を助手席に乗せて、車線変更が苦手なことを悟られまいと必死にハンドルを握っていた自分。隣からちょっかいを出してくる恋人にいちいち笑顔を見せて、楽しそうなふりをした自分。
そういうのが全部、遠い、どこか遠い、私とはなんの関係もないところで進む、それこそ陳腐な映画の中の出来事みたいに思えてしまう。
どうしてそんな風に思うんだろう。仕事が忙しくて、なかなか会えなかった恋人と今、こうして一緒にいられるのに。私の頭や心はどうしてこんなにも、しんと静まりかえっているのだろう。
気分に従った結果、恋人が選んだのは2時間ドラマでやれば充分と思えるような邦画だった。
ちょうど昨日、なんとなく点けたテレビに主演の二人が番宣で出ていたのを思い出す。もう全部が笑っちゃうくらい、くだらない。
恋人は、モールに着いた時間と開演時間がちょうど良かったことを、自分のお手柄みたいに言って機嫌を良くした。ジュースとポップコーンを買おうと言った。食べきれなくて荷物になって、不機嫌になる二時間後の恋人の姿が容易に想像できて、だけど私は「買おう買おう」とはしゃいで見せた。
どうせ主人公のどちらかが死ぬのだろうと思ったら本当に死んでしまって、予想できていたのに驚いた。バカじゃないのって。
隣で鼻をすする恋人が、私の腕に腕を重ねて、左肩に顎をのせる。左を向くと暗闇の中、二つの目玉がビー玉みたいにこっちを見ていた。泣いているのだとわかって鼻白む。だけど私も一緒になって鼻をすすって、乾いたままの頬を拭って見せる。恋人が、満足そうに笑うのを、白く発光したスクリーンが私に見せる。
ねえ、なんで。
言いかけて、やめる。
ねえ、なんで、あんな映画で素直に泣けるの。
訊きたいけど訊かない。
世界はきっと二つの人種に分けられる。ああいう映画で泣く人と、ああいう映画で泣かない人。もしくは、ああいう映画を映画館で見る人と、タダでも一生見ない人。恋人は前者で私は後者。
人間、話せばわかるってことはさあ、絶対ないと思うんだ。だって私は1800円を今、文字通りドブに捨てた気分なんだから。
なのに、ねえなんで。なんで私たちは恋人同士でいるんだろうね。
教えてよ、今の気分で思うことでもいいから。
気分屋でしょう、どうせ。明日にはまた、変わってるんでしょう。
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