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Mind Scape
処刑屋の記憶は自分自身の魔法によって封印されていた。
パンドラの箱は悪魔によって、ようやくこじ開けられたのである。
金色の悪魔が見たのは、間欠泉のように湧き出る記憶だった。
男は物心つく前に、魔法使いの能力が覚醒した。
自分がケガする瞬間、近くにいた誰かが代わりにケガをしていた。
何かあるたびに、必ず誰かが身代わりとなっていたのである。
それ以来、どんなことがあっても彼は無傷だった。
魔法を使っていることを両親は知るはずもない。
彼のことを不気味に思いながら、生活していた。
実際、気味が悪いなんてものではなかったはずだ。
トラックに引かれても、包丁で刺されても、必ず別の誰かがケガをした。
バケモノのように扱われ、周囲の人々から嫌われていた。
ある日、一人の友人ができた。
優しい人物で、誰とでも平等に接していた。
誰からも嫌われていた彼にとって、いい話し相手になっていた。
その友人は交通事故にあってしまった。
生死の境を彷徨っており、彼は友人の受けた怪我を今までの記憶を封印することで、完全回復させた。
魔法の代償が自分に変わった瞬間だった。
その後、能力に目をつけた犯罪者集団が彼を拉致し、魔法使いとして育て上げた。
それまでに失ったものが彼には多過ぎた。
あまりにも重すぎる空白だった。
すべての記憶を思い出した処刑屋は、膨大の涙を流し、地面に倒れ伏した。
その後は警察に通報し、彼を捕縛してもらった。
しばらくは事情聴取などを受け、落ち着きのない生活を送っていた。
彼の事件が終わりを迎えた頃、彼らはまた顔を合わせていた。
「どうして、そこまでしようと思ったんだ? タチバナリオさん?」
「今はその名で呼ぶな、暴食」
ぴしゃりと言った。
開店前だからか、客は金髪以外誰もいない。
「へいへい、分かりましたよ。色欲の旦那」
「君、そういうキャラだったっけ?」
「こっちのほうがウケもいいんでな。
このノリを貫くことにしてみた」
暴食と呼ばれた男、カインはグラスを拭いていく。
席の向かい側に、色欲と呼ばれた金髪は座っていた。優雅に足を組み、彼を見据えている。
カインは目の前の金髪にコーヒーを差し出す。
『本当、警察は何をしているんでしょうね?
悪魔でも何でもいいからどうにかしてほしいです」
この一言が色欲と呼ばれた彼を動かした。
正義が動いてくれない以上、誰でもいいから何とかしてほしいという思いから、出た一言なのだろう。
『あなたは悪魔が正義を語ることをおかしいとは思わないのですか?』
思わず聞き返してしまった。
やってはならないことなのは分かっている。
このような質問は相手を余計に不快にさせてしまうだけだ。
『こんな状況なのに、正義だとか何だとか言ってる場合ですか? 今も誰かが殺されているかもしれないのに!』
案の定、怒りに触れてしまった。
確かにその通りだ。ぐうの音も出ない。
一瞬だけ間が空いて、相手は息をついた。
『ごめんなさい……こんなこと、あなたに言っても仕方ありませんよね』
『いえ、私こそ変なことを聞いて申し訳ありませんでした。あなたの言うとおり、誰でも良いからどうにかしてほしいものですよ』
『そうですね、お互い気をつけましょう。
誰彼構わず、狙っているみたいですから。
今日も聞いてくれて、ありがとうございました。
失礼します』
そこで会話が切れた。
このやり取りで、彼の決意は固まった。
助けを必要としているのに、無視されている。
彼らに手を差し伸べずして、どうして正義を語れよう。必要とあらば、正義にだって、なってやろうじゃないか。
カインたちは大罪の名を持つ悪魔である。
一部の人間が好むおとぎ話の登場人物だ。
彼らは人間たちに紛れて暮らしていた。
本来であれば、このような状況に彼らは呼ばれない。国家公務員が出動し、審判を下す。
そのはずなのに、何もしない。何もできないでいること自体、異常であるとも言える。
だから、仲間である暴食のカインにも声をかけ、作戦は決行された。カインが囮となり、気を逸らした瞬間に色欲が奇襲をかけるというものだった。
処刑屋に偽物のメールを送り付け、カインを殺するように依頼する。
なるべく早めに殺してほしいと、催促もしておく。
処刑される日にちが決まると、受刑者にメールが届く。その日の夜になると、強制的に連行され、殺害される。どこにいても、必ずあの場に連れ出されるらしい。
昼間はただの何もないグラウンドだ。
彼が来る前に、金髪は物陰に待機していた。
処刑される役となった者が囮となり、金髪が攻撃を仕掛ける作戦だった。
カインは歯を食いしばって、その場に待機していた。彼に怯えていたからか、緊張によるものかは分からない。
「まさか、悪魔が死神もどきを成敗する日が来るとはね。世の中、何があるか分かったもんじゃないな?」
「死神もどきっていうか、彼は空っぽなだけだよ。
決意もなく信条もなく、機械的に人を殺していただけだ」
「アイツの方がよっぽどロボットらしいな」
他人を身代わりに発動していたものが、自分が対象になった。周囲はその様子を見て、『送りバント』という名前をつけたらしい。
「野球が好きかどうかは微妙なところだね。
能力とは全然関係ないわけだし」
金髪はコーヒーを傾ける。
あの日と同じように、真っ黒なスーツを着ていた。
それが色欲のスタイルであるらしい。
その名前を使うときは、決まって身に着けていた。
言ってしまえば何の飾り気のない、ただの喪服である。何のつもりで着ているのかは、今でもよく分からない。
「自分から勉強して、魔法を身に着けたわけじゃないんだよな? アンタの話を聞く限りだと」
「稀にいるんだよ、そういうの。
ごく普通の生活の中で、魔法使いとして覚醒するんだ」
「面倒な話だな」
「一応、そういう子どもたちの面倒を見てくれる場所はあることにはあるよ。
ただ、世間の評判はあまりよろしくないね。
犯罪者を生み出す機関とか何とか言われているのが現状かな」
「どうにもならなかったんだな、あいつ」
「そう。どうにもできなかった」
金髪は無感情に繰り返した。
「どうして、アイツを止めようと思ったんだ?」
「私らしくないって言いたいの?」
「よく分かってんじゃん」
「潮煙には専門家が常駐しているからね。
本来なら、私たちが出る幕はなかったんだよ。
けど、彼らもアテにならないようじゃ、さすがにね」
『今も誰かが殺されているかもしれないのに!』
悲痛な叫びが脳裏をよぎった。
この事件を終わらせたのが悪魔であることを知ったら、どう思うだろうか。
「通りすがりの悪魔に全部かっさらわれて、警察はどんな顔してるかね」
「さぞかし、愉快な顔をしているんじゃないかな」
「そりゃ、傑作だな」
処刑屋の死刑が決まり、物語は幕を閉じた。
世間では、処刑されるはずの男が運よく逃げ出し、近くにいた人に助けを求めたということになっている。
彼らは本来であれば、登場しないはずの人物だった。しかし、たった一言ですべてを覆した。
処刑屋を名乗っていた男は、悪魔によって倒されたのである。
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