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高校二年生の時の話です。
私の高校には、放課後の音楽室でピアノの練習をしていると、自分が自分でいられない世界に引きずり込まれるという噂がありました。
私とA子はある日の放課後、噂が本当かどうか確かめるために、ガランとした音楽室でピアノを弾いていました。
カーテン越しに桜の葉の影がゆらゆらと手を振っています。
ピアノにもたれていたA子は、「自分が自分でいられない世界って、正直ピンと来ないよね」と、退屈そうに言いました。
「最初はもっと具体的だったのかもね。噂って変わっていくものだし」
私はそう答えて鍵盤の上に両手を置き、「まだ時間あるし、もう一曲試してみようか?」と、A子に聞きました。
日差しの強い初夏のはずなのに、なぜか底冷えがします。
木の葉の影のせいなのか、部屋全体が徐々に暗くなってきたような気もしました。
「でも、もう四曲も弾いたのに、何も起こってないんだよ?」
A子はすっかり飽きてしまった様子ですが、こんなところで調査を打ち切るのは面白くありません。
「できる限りのことはしてみようよ。千代子先生の頼みなんだからさ」
私が説得しようとすると、
「チヨコ先生って誰?」
A子は突然怪訝な顔をしました。
窓を閉めきっているのに、冷たい空気が背中を通り過ぎたように感じます。
五月中旬の午後四時は、こんなに暗く、湿っぽいものだったでしょうか。
しんと静まり返ったこの部屋だけ、黒い雲に覆われてしまったような感覚です。
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