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パルスベル王国は戦争に敗れた。
敗残国の民はすなわち奴隷であるという世の中で、私たちは人として生きていたかった。
それゆえ私たち四人はボロボロの船を一艘、何とか修理して海へ出た。
どこでもいい。とにかくこの国でないどこかについてくれ。そう切に願いながら。
私たち四人は兄弟であった。しっかり者の兄ガリュー、お調子者の弟ファルクス、内気な妹シャンドラ、そして私フェミル。親がいたことは必然なのだがガリューでさえも記憶にかすかに残っている程度らしい。生きているのか死んでいるのかさえ分からない。私たち四人は一艘の船で新天地を目指した。
私たちが島から持ち出したのはわずかばかりの食料と水、長い間研がれていないナイフに擦り切れた毛布、そしてオールとして使う二本の木の板のみであった。
私たちは夜遅くに海へ出て、翌朝、日の昇る頃には岸がかすかとなるまで漕ぎ進めた。あたりには誰もいない。聞こえるのは波音とファルクスの鼻歌のみだった。
一日目にしてすでに食料は底をつく。飲み水もあと少しである。魚を取ろうにもナイフ一本しかなく、そもそも近くに魚の影は見当たらない。
状況は絶望的である。
しばらくすると波は穏やかになった。そしてただオールをこぐこと以外にすることもなかった。交代しながらオールでこいだ。ちょうどガリューとシャンドラが当番だったとき、ファルクスは調子に乗って船の縁で片足立ちをしだした。何もない船旅は彼にとってひどく退屈なものであるということは容易に想像できた。そして海に落ちた。
引き上げられてからファルクスは海の水がしょっぱいと何度も叫んでいた。それが終わるとファルクスはすやすやと眠りについてしまった。あたりは静寂に包まれた。
数日すると食料は跡形もなく、四人は空腹に悶えていた。ファルクスの鼻歌も気づけば聞こえなくなっていた。それでも彼は何気ない話を周りに振り、一人で笑っていた。
四人は空腹以外に何も考えられなかった。
ファルクスは空腹から逃れるために寝ると言い出してそのまま寝てしまった。
私は兄を見た。兄は深くうなずいた。手にはナイフを持っていた。そしてそのナイフで弟を刺した。ファルクスは刹那に目を覚まし、そして目を見開いた。私は彼の苦しむ姿を初めて見た気がする。それでも彼は精一杯笑おうとしていた気がした。彼は全てを悟っていたのかもしれない。そして彼は息絶えた。終始無言んの出来事だった。誰一人涙を流さなかった。その瞬間を運命であるかのように感じていた。そして兄は私にナイフを渡した。
弟の肉はうまくさばけなかった。小舟に血がたまる。そして私たちはその血生臭い塊に無心でかぶりついていた。
その日から私たち三人の眠りは極端に浅くなった。眠ることは死と同義だとさえ感じた。兄弟は信頼に足りなかった。
その結果であるのか数日してシャンドラが体調を崩した。
シャンドラは自分を殺すように言った。そして私にも兄にも妹を看病するだけの余力もなかった。よってことは然るべき結果となった。今度はそれほど血が飛び散らなかった。
それからまた数日が経った。ほとんど骨と化した二人を海へと沈めた。
そして何もなく数日が過ぎた。波もやけに穏やかである。私と兄は最後の家族会議をした。話し合うことはどちらが生きるべきかということだった。
「フェミル、お前が生き残れ」
「どうして。私たちの中心はいつも兄さんだった。なのに私だけ利用価値がないからって切り捨てて自分だけ死んでいくの」
死ぬ者か、残される者か、どちらが幸せかなんて私には分からなかった。
「ちがう。お前に価値がないんじゃない。価値があるから生かすんだ。お前は俺よりも賢い。だからきっと俺よりも上手に生きられるだろう。そしてきっと生き残れるんだろう」
「そんなこと分からないよ。賢くたってどうにもならない状況だってあるんだよ。現に今だって、今までだって……」
「それでもだ。お前が生きていたほうが俺たちの血がつながる確率が増えるだろう」
ガリューの手にはすでにナイフが持たれていた。もはや決定事項らしい。
「俺はフェミルに殺されたんじゃない。俺自身で考え、俺が死ぬことが最善だと思って、自らの意志で死ぬだけだ。だからフェミル、お前は気に負う必要はない。ただひたすらに生きてくれ」
そう言うと最後に「フェミルに最高の福音がもたらされんことを」とだけ言ってナイフを自分に突き刺した。数秒して絶命した。
私は彼からナイフを離そうとした。しかしそうとうな力がこもっていたようでびくりとも動かなかった。これはしばらく待たなければならないようだった。
何一つ終わっていないのに、なんだかすべてが終わったような気がした。
遠くで船のモーター音が聞こえた。船には見知らぬ国旗がついていた。見知らぬということは自国でも敵国でもないのだろう。逃げようかとも考えたかそんな体力はもうなかった。それに逃げたところでじきに追いつかれることも悟っていた。
「おーーい、大丈夫かーー」
甲板で一人の大男が大声で叫んでいた。私はなんとも返事を返さなかった。
ようやく私たちの惨状が確認できる位置まで船が近づき、大男は息をのんだ。私を見て、自らの手で自らの腹部にナイフを突き立てた兄を見て、そしてもう一度私を見た。そして大男は全てを理解したような顔つきになった。そのストーリーには妹も弟もいない。飛び散った血もすべてが兄のものであった。そして残虐性も少女たる私から切り離された。私は単なる被害者であった。たしかに被害者ではあるのだが、確かに加害者でもあったはずなのに。そして私はつけこんだ。私は弟と妹を抹消し、私と兄を同情の対象へと仕立てた。
弟と妹の存在は消えた。残ったのは自殺した少年ととかわいそうな少女だけであった。
ただ一つ、確かに言えることは弟と妹によって文字通り私は生かされて、兄の見込んだ賢さによって生きているのであった。
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