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因縁の蛙合戦! 蛇女vs百足姫
ガラ代がスーパーでオムライスの材料や、ぼたもち等を買った帰り道のことだ。
空から名を呼ぶ声が聞こえたと思い見上げてみれば、ベチンと一匹の蛙が顔面に張り付いた。
「おいテメェ」
引き剥がすと蛙は両手(前足?)を顔の前で合わせ、拝むようにする。
「突然のご無礼、ご容赦くださいゲコ。蜷局山ガラ代殿とお見受けいたしゲコ。拙者の頼みを引き受けてはくださらぬゲコか」
「あー?」
ひとまず話を聞いてみるに、この蛙――名をゲコ兵衛――は、病亡県は胎塚村の血怨池に棲んでおり、近々、蛙合戦があるから助太刀をして欲しいとの旨。
「いやでも蛙合戦って、あれでしょ? 交尾。オスがメスを奪い合う」
この蛇女にメスの一匹として加われ、とでも。
いやまさか。
「然り。ただし、他所のそれとは少々光景が違いまゲコ。そもそも我らの棲む池には二つの派閥があり、とても仲が悪いでゲコ。そのために合戦においては一際、凄惨な光景が繰り広げられてしまいまゲコ。流血はもちろん、時には四肢を失い、亡くなる者も少なくなく……」
「生命の輝きってやつだな」
「年々高まる厭戦感情を受け、我らは考えましたゲコ。それぞれに五匹の勇者を選出し、一匹ずつ相撲を取り、総合的に勝利した派閥のオスが交尾の権利を得る。そういう形に移行して、早十年が経とうとしておりまゲコ」
「ふぅん。良かったんじゃねーの?」
「誤算が一つ。我が軍は、弱かったのでゲコ。最初の五年はともかく、ここ五年は全くの勝ち知らずゲコ……。これでは先祖に顔向けも……」
ゲコ兵衛はよよと顔を濡らした。
もっとも最初から濡れていたので、見た目の変化はほぼなかったが。
「ガラ代殿、どうか我が軍に御力をお貸しくださいませ。お礼のほうはもちろん、ご用意致しゲコ」
(まぁ、蛙だし。なんなら頭の蛇一匹でも勝てんだろ)
蛇女の妖怪である彼女は、頭髪が全て白蛇なのだ。
しかし、とガラ代は問う。
「一勝でいいのか? 今までの戦績は知らねえけどさ」
「然り。今回は特別に一戦限りとなっておりまゲコ。ねじ込みました」
蛙は胸を張っていた。
「責任重大じゃねーか」
「もしも敗けた場合には、拙者は入水することになるでしょう」
「池に戻るだけじゃねーか」
なんだかんだ言いながらもガラ代は、その依頼を引き受けることにした。
二人は気付いていなかったのだ。
その様子を、また別の蛙が見つめていることに……。
* * *
数日後。
ガラ代は一反木綿に乗って件の血怨池へとやって来た。
胎塚村は、駅からはバスに乗って三十分ほどのところにある、田園風景を望む、特にこれというもののない、つまりは長閑な村である。
聞けば社会に疲れた人間もいくらか暮らしているそうだ。
その村の里山に血怨池はあった。
物騒な名前のわりに、その池は中々どうして清々しい趣き。
広さも中々のものである。
ガラ代はてっきり蛙しかいないような、こじんまりした古池を思い浮かべていた。
「水の精様のおかげでゲコ」
池のほとりにはすでに、蛙たちがうじゃうじゃ。
東西に分かれ、群れていた。
両軍の間には小石が円状に埋め込まれている。
察するにこれが、彼らの土俵なのだろう。
東軍の蛙たちがゲコゲコと力の限り鳴いている。
「今年も来たゲコ! この日が来たゲコ! 弱小キリサメ派など恐るるに足らずゲコ!」
すると西軍も答える。
「積年の恨み晴らすは今ゲコ! ムラサメ派を押し潰すゲコ! 先祖に勝利を掲げるゲコ!」
両軍、ともに戦意高揚している。
今にも激突しそうな雰囲気さえある。
しかし、実際にそうならないためにも彼らは声を張り上げるのだ。
これはある種の儀式だ。
くんずほぐれつ本能のままの蛙合戦を捨て、平和的に交尾相手を決するべく、自ら定めた形式なのだ。
西軍から一匹の蛙がガラ代の前に躍り出る。ゲコ兵衛だ。
「皆の衆! こちらにおわす御蛇は、今日キリサメに勝利をもたらす女神とならんゲコ!」
――ゲコゲコゲゲコゲココゲコ!!!!
蛙たちが一斉に沸いた。
(うるっせえ)
対する東軍はと言うと――笑っている。
声を出さず、ニヤニヤ笑っている。
不気味にもほどがある。
これから蛇と闘おうとする蛙の姿ではない。
(余裕ありすぎっしょ。なーんかイヤな予感)
ガラ代がそう思っていると、東軍ムラサメ派から一匹の蛙が躍り出た。
「蛇に助力を頼むとは、ゲコ兵衛らしい小賢しさゲコな」
「ピョン兵衛……代力士はルールに抵触せぬゲコ」
「然り。だから貴様も文句はあるまいゲコな?」
「それは、どういう」
不意に空から声が降ってきた。
「――ガラ代、久しぶりね」
その主は大きな鳳蝶に乗って、どこか優雅さを携え舞い降りてきた。
つり上がった目尻なれど、ぱっちりして可愛げのある、黒髪ストレートの女妖。
揃えられた前髪からは、額中央の黒子が覗く。
身にまとうは雀蜂柄の紫色の振袖。頭には、百足を模した金色の髪飾り。
ガラ代は思わず「げ」と漏らす。
「ふふ。懐かしいわね、ガラ代。子供のとき以来……十年ちょっとぶりくらい?」
「はン。チコ姫、アンタがそっちの助っ人とはな」
「わたくしも話をもらったときにはビックリしたけれど、今のあなた程ではないのでしょうね? 帰りの便を手配しましょうか?」
「あー? 生意気言ってんな」
ガラ代はすぐにでも始めるつもりだったのだが、西軍の蛙たちは見知らぬ相手に警戒してか、作戦会議の時間を要望した。
東軍は相も変わらず余裕の顔付きで、それを了承。
両軍は互いに離れたところで話を始めた。
「ガラ代殿、あの御方とはお知り合いなのでゲコか? 正体はもしや……」
「顔合わせ程度だけどな。どうやらアンタの考えは、あっちに筒抜けだったみたいだ」
「やはり、百足ゲコか」
ガラ代は頷く。
「アイツは八巻山千蟲……百足の姫様だ」
ざわつく蛙たちの群れの中から、一際大きな蛙が立ち上がる。
「彼はキリサメ派の横綱、ゲコ之花関でゲコ」
横綱は言った。
「我が出るゲコ。百足は蛇の天敵ゆえ」
「三竦みの話だな」
とガラ代。
「然り。蛇は蛙を喰い、蛙は百足を喰い、百足は蛇を喰う。ゆえにゲコ兵衛も貴殿に助太刀をお願いしたでゲコ」
「妖怪同士の力関係に、三竦みがまるっきり当てはまるわけじゃねえ。家同士の仲も悪くないしな。……とは言え、毒耐性のある化け蛇が、化け百足の毒には弱いってのも事実だ」
命を脅かすほどではないにしても、子供の時分、その毒を打ち込まれ痛みに悶絶したことがある。
苦い思い出だけれど今でも鮮明に思い出せる。
痺れて身動きの取れない自分を見下ろす、あの姫の愉快そうな顔。
そのとき彼女が何て言ったのかも。
『あなたの表情、気に入っちゃた。もっと色々な顔を見せて?』
一方、蛇の毒は百足に効きにくい。
そもそも百足は固い鎧に覆われていて毒の注入も一苦労。
「なら」
と横綱。
「でもアンタが出るとして、向こうも横綱を出してきたら? 勝てるのか?」
ガラ代の問いに、彼は少しだけ迷いを見せた。
「……そのための稽古を積んできたつもりでゲコ」
「そりゃそうだ。だが、その勝気は別の機会に取っておきな。アンタを出したとこで向こうは代えねえさ。勝てるか? あの女に」
横綱は、今度は押し黙った。
人に化けられるほどの力もない蛙と、百足の姫。
彼女の分身と立ち会ったとしても、勝ち目は薄い。
三竦みの関係上では、蛙は百足を喰らう者であっても、だ。
「そうだ。三竦みなんて言っても、妖怪同士の力関係にまるっきり当てはまるわけじゃねえ。こいつは相撲だ。手を出しゃ終いのじゃんけんとは、わけが違う」
だから。
と、ガラ代は口角を吊り上げる。
「アタシに任せな。蛇が百足を喰らうとこ、見せてやる」
ガラ代と千蟲はそれぞれ蛙の軍団を引きつれ向かい合う。
千蟲は微笑んだ。
「いい顔ね。素敵だわ」
「そりゃどーも」
「それで取り組みの方法なのだけれど、ほら、土俵が折角あるでしょう。わたくしたちには小さいけれど、互いに分身なら丁度良いと思わないかしら?」
つまりガラ代は蛇に、彼女は百足に意識を移しての異種相撲というわけである。
「アタシは一向に構わない。長さは十センチあたりか?」
「そうね。最大で、そのくらい。もちろん、下回っても良い」
「取り組み中、更に分身するのは無し。あくまで一対一な」
彼女は何かを誤魔化すように、にっこり笑った。
(ヤル気だったな、こいつ……)
さて相撲と銘打ってはいるけれど、蛇は手足なくて這いずる者、また百足は手足数多にして同じくなわけだから、通常の相撲にある『地に足裏以外がついたら』という敗北条件はそぐわない。
そこで敗北条件は次の三つとなった。
一つ、土俵から体の一部が出た者。
ここでの『出る』とは土俵の外の地に接することを指す。
一つ、土俵上にあっても取組続行不能に陥った者。
ただし、共にそうなった場合は再取組。
一つ、降参した者。
反則については先ほどガラ代の挙げた『分身を分裂させる等して一対一を意図的に崩す』の他はなし。
互いに牙および毒のことなど一言も口を出さなかった。
なお百足の毒牙は正確には顎肢と言い、頭部の腹面に位置する胴部第一節に存在する、その名の通り歩脚が牙めいた形に変化したものである。
ルールの決まったところで、ガラ代は土俵の前に胡坐をかく。
頭から一匹の白蛇を抜き取り、その長さを上限いっぱい十センチに調整すると、それに掌を翳し、己の意識を同調させていく。
千蟲も対面に正座をし、袖口から七センチほどの赤褐色の百足を出現させ、その頭に二本の指を当てて目を瞑る。
頃合いを見て、行司の格好をした蛙が土俵にあがる。
呼び出しを務める別の蛙が問う。
「準備は宜しいゲコか!?」
二人は無言に頷く。
どこからか太鼓の音がドドンッと鳴り響いた。
「それでは」
と呼出蛙は咳払い一つして
「ひぃがぁしぃ~、百連峰~」
百足が数多の脚を蠢かせ、土俵に上がる。
「にぃしぃ~、白金山~」
今更、勝手な四股名に文句を付けはしまい。
白蛇と化したガラ代はニョロリニョロリ、土俵に上がった。
行司が軍配を掲げて叫ぶ。
「見合って、見合って!」
ガラ代は鎌首もたげて、舌先チロチロ。
百足と化した千蟲を見下ろす。
少しでも距離を取り、顔の感覚器を攻撃されないよう備える。
彼女は地に伏し触覚をチョロチョロ震わせ、下からガラ代を睨め返す。
その四肢、いや八百万肢にぐっと力が込められる。
「見合って! ――はっきよぉい」
次の瞬間、
「残った!」
百足が弾けるように蛇の顔目掛けて跳びかかって来た!
頭突き!? 否、狙いは噛みつきからの毒!
これで勝負あり!
(――ってぇ腹つもりだったんだろ? 千蟲姫!)
当然、ガラ代はそれを一番に警戒していた。
「残った! 残った!」
全力で横に躱し、顎を開く。
(横から咥えて放り投げる!)
なれど、それは相手の尾を捕えることも叶わなかった。
突進の勢いそのままに、駆け抜けていってしまったのだ。
足の多さがゆえ、すばしっこい。
もう少しだけ相手の胴体が長ければ、あるいは体節の最後に噛みつけていたかもしれない。
(はン。ここまで見越して胴体を短くしたな? でも投げが有効って証明したようなもんだ)
千蟲はガラ代の土俵の際をぐるぐる駆け回る。
ガラ代は不動のまま首だけ振って、それを追う。
行司が煽る。
「はっきよい、はっきよい!」
百足の軌道が描くは螺旋。
次第に間合いが狭まっていく。
ガラ代はやはり、相手の毒が怖い、後部に狙いを定め、ここぞというところで頭を繰り出す。
蛇は全身が筋肉とも言われ、その瞬発力は放たれた弾丸すら掴むと称されるほど。
さっきは後手に回ったが、正面から、ようく見れば、百足の素早さも決して捕えられぬものではない。
千蟲が、くすりと笑った。
「ここまでが、わたくしの読み」
ガラ代の頬を汗が伝う。
「う、動かない……!?」
百足の末節に噛みついたはいいが、数多の脚が地面をガッチリ掴んで引き剥がせないのだ!
動揺した隙をつき、百足は蛇に絡みつく。
西軍から「あぁっ!」と悲痛な溜息が零れた。
ガラ代もまた、くぐもった呻き声。
分身を通じて毒の激痛が走った。
だが耐えた。
幼き日の苦い思い出。雪辱。
勝ちを確信したあの女に、ぎゃふんと言わせたい。
それらが気合と根性を呼び起こした。
まさに這う這うの体で土俵外へ向かう。
これには千蟲も意外だったようで焦りの表情を見せた。
百足が巻き付くのをやめ、暴れ出す。
それでもガラ代は離さぬまま。
額に脂汗浮かせ、ふてぶてしく笑った。
「くぁっはーっ! 千蟲姫、いい顔してんじゃん!」
「あ、あなたのやせ我慢もね!」
百足が再び巻き付き、更なる毒を注入する。
ガラ代は蛇の身から自身の感覚が離れていくのを感じた。
痺れてきた。動かしにくい。
ふらふら、にょろにょろ。
蛇の頭が遂に土俵の外へ出た。
百足は巻き付くのをやめ、蛇の背に這う形。
そして、もう一噛み。
千蟲が笑う。
「さあ、落ちなさい!」
鎌首がぐらりと揺れ、落ちていく。
先に地に着くは蛇――いや、
「――しろぉ~がね~やま~!!」
軍配は西に上がった。
ガラ代は倒れ込む直前、辛うじて持ち堪えて、口の端からピョンと飛び出た百足の尾を、地に押し付けたのだった。
ガラ代は朦朧とする意識のなか、背後の西軍が鬨の声をあげるのを聞いていた。
それで自らの勝利を確信し、ようやく分身との同調を切ることができた。
頭からモヤが晴れ、激痛も痺れも波が引くように去っていく。
深呼吸をしていると、膝の上にゲコ兵衛が乗って来た。
「ガラ代殿、天晴でゲコ! 本当に幾ら感謝の言葉を伝えても突きませぬゲコ!」
どうにも、そわそわしている。
しきりに池の方を窺っていた。
「はぁーっ……はぁーっ……。そりゃ、なにより。……とっとと行けよ、顔に出てるっつーの」
「お気遣いありがとうございまゲコ! このお礼はまた後日! 必ず! では!」
古池や蛙飛びこむ水の音。
どぼどぼぼっちゃん、どぼぼっちゃん。
ゲコ兵衛をきっかけに始まったそれは、お世辞にも風流には程遠いものだった。
苦笑するガラ代に、千蟲が手を差し伸べる。
「ふふ。いい顔」
無視して一人で立ち上がり「はン」と鼻で笑う。
「相撲じゃなかったら、もっと余裕で勝てたっつーの」
「あら、それは楽しみねぇ。どんな顔で泣くのかしら」
「今日はもうやらねーし」
「わたくしも疲れちゃった」
勝ち甲斐のないやつめ。
ガラ代は内心で悪態ついて、ふと東軍はどうだろうと見てみれば意外にもそちらはそちらで気が抜けたようにのんきな様子だった。
久しぶりの敗北に放心しているのかと思えば、そうでもないらしい。
話し声に耳澄ませれば、
「二時間、三時間くらいゲコ?」
「そうそう。暇ゲコねぇ」
「おい、あっちで花札やってるゲコよ」
「いやいや拙者は将棋の約束が」
これは、どういうことだろう。
ちょうど目の前を通り掛かった、ピョン兵衛なる蛙に問う。
「え? ガラ代殿、聞いておらぬゲコか?」
「おらぬゲコ」
「この蛙合戦、単に時間決めでゲコよ」
ガラ代は思わず千蟲を見る。
彼女は特に驚いた様子もなかった。
「え、知ってた?」
「聞いた気もするけど、別に興味ないから。相手があなたと知って来ただけだもの」
「あ、そう」
再びピョン兵衛に向き直り
「派閥の仲が悪いってのは?」
「それは本当ゲコ。昔からのことだから根が深いゲコ。それでも、こういう平和的なやり方が出来るくらいには、両陣営とも大人になってるゲコ」
ガラ代はどっと疲れが出るようだった。
千蟲が労うように、肩に手を置く。
「送りましょうか?」
払い除けて、言った。
「家知られたくねーし」
* * *
ガラ代の元に段ボール箱が届いた。差出人は、あの蛙から。
流石に池暮らしの蛙に金銭の類を期待はしないが、もしもお礼とやらを踏み倒すつもりなら一族郎党飲み干す気でいたため、そこまで不誠実な蛙でなかったことに安心した。
クーラー便だった。
池の魚や木の実が入っていた。
「へえ。悪くない。ん? これは……」
隅のプラスチック容器が目に留まった。
それには『ムラサメ派』と書いてあり、中身は黒い粒を丸く包んだ、透明なゼリー状のものがたくさん。
量的に一部を拝借したのだろう。
ガラ代は卵全般が好物であるが、多少、複雑な気にもなった。
それはそれとして、ありがたく頂戴するが。
「……ミルクティーでも買ってくるか。タピオカに似てるし」
(了)
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