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「い〜や〜っ、今日もサイッコーだったね!」
夜でも明るい繁華街を駅に向かって歩きながら、興奮冷めやらぬ様子でナナミが言う。それに同意をみせる四人の女子の後ろで、私はときどき相槌を打ったり、笑ったりしている。
私たち六人は同じ高校の友達。よく言うところの"いつメン"だ。休日のたびに集まってはカラオケやボーリングに行ったり、こうしてナナミお気に入りのインディーズバンドが出演するライブに参加したり。
不安だらけだった高校生活もそろそろ半年になるけれど、こうして毎週遊べるグループにも入れたし、それなりに楽しく過ごしていると思う。
「この後ファミレス行く人〜?」
次々と手が挙がる。ほんの少しの差だったけれど、私はいちばん最後に手を挙げた。
明日までの宿題は、少し睡眠時間を削れば大丈夫だろう。
***
「あとドリンクバー六つで! お願いしま〜す」
全員一緒のメニューを頼んでから、最後にナナミがそう付け加える。
店員が去ると、ナナミ以外の全員が一斉に席を立った。ナナミだけは明るい茶髪を後ろに流してから片肘をついてスマホを取り出し、そしていつも通り私に向かって注文する。
「マリナぁ、わたしメロンソーダねー」
「うん」
ナナミの垂れた目尻がもっと下がった。
自分のと合わせて二人分のメロンソーダを汲む。席に戻ると、先に戻っていた四人とナナミがライブの感想を言い合っていた。
「もうさぁ、手ぇ洗えないよね〜」
「やだ〜」
満員に近いライブハウスのフロアで、ナナミは人をかき分けかき分け最前列まで行って、好きなバンドのメンバーにハイタッチしてもらったらしい。私も行こうとは言われたけれど、全然辿り着けなかった。
店員が料理を持って再びやってくるまでに私が口から発したのは、「うんうん」と「そうだね」だけだった。
***
「んじゃ、お疲れ〜」
「また明日〜」
使う路線の違う二人が先に別れて、私とナナミともう二人が残った。いつもならこのまま四人でホームへ向かうのだけれど、今日だけは違った。
「あっ、ごめん、ちょっと先帰っててもらっていい? わたし忘れ物したっぽい」
ナナミがカバンを漁りながらそう言うので、それならと三人だけで帰ろうとしてナナミに背を向けると、後ろから腕をつかまれた。
「いやいや、寂しいっしょ。マリナ一緒に来て?」
それこそアイドルにも劣らない整った顔が悲しそうにこちらを見るので、私は二人に空いているほうの手を振って、ナナミに引っ張られながらついていった。
ところがナナミは、ファミレスに戻る道ではなく、人があまり通らない通路の端のほうへ歩いていく。大きな交差点を見下ろすガラス張りの壁際まで来ると、ナナミがこちらを向いた。
「ねぇ、アンタさぁ。明日からわたしと関わるのやめてくれる?」
それは、突然の宣告だった。
一瞬何を言われているかよく分からなくて問い返すと、ナナミは露骨に舌打ちしてから声を荒げた。
「だから、アンタはもういらないっつってんの。暗いのよ、アンタ」
そこからは、延々と私に対する罵倒が続いた。たまたま席が近くて何となく喋ってしまったから一緒のグループに入れてあげていたけれど、髪型はいつまで経ってもダサいお下げだし染めもしないし、スタイルも貧相だし、ファッションセンスもゴミだし、何より丸眼鏡が最悪、と。
私はナナミの気が収まるまでずっと、彼女の肩の向こうで繁華街を眺めながらぼうっとしている女性を見つめていた。顔立ちは大人のそれで、でもたぶん二十代。身長は一五五センチの私より少し高め。着込んでいるのは真っ黒なレザーコート。黒にところどころ激しいピンクが入ったロングヘアに、血のように赤いネイル。耳にも指にもゴテゴテとつけられた装飾品。
とにかく、聞いていたくなかった。
「――ってことで、もうアンタの顔見たくないから。よろしく」
結局、最後の最後まで私が反論する隙は一ミリたりとも与えられなかった。そもそも、反論する言葉すら思いつかなかった。
ナナミがいなくなってからも、私はずっとその場で立ち尽くしていた。明日からどうやって学校生活を送ればいいのか、想像しようとしても全然分からない。休み時間もひとり、お弁当もひとり、帰り道もひとり。
頭を回すと吐き気がしてきて、うずくまる。涙は出なくとも、心が泣いていた。見開きっぱなしの私には、ただただ整然と並ぶタイルの目地しか見えなくて。
――その視界に、黒いブーツが入り込んできた。
「おい」
見上げると、さっきまで黄昏れていた女性がこちらを睨んでいた。
「何やってんだお前」
「え……」
彼女の口から出てきたのはおよそ初対面の相手にかける言葉ではなくて、ただでさえ震えている私をさらにかき乱す。
「あ……ごめんなさい……」
「いや、質問に答えろよ。何やってんだって聞いてんだ」
何、とは、何だろうか。私は、何をやっているんだろうか。しゃがんでいます、というのは違うだろうし、悲しんでいます、というのも変だ。
どう答えようか迷っていると少しだけ気持ちが落ち着いてきて、私は手すりを支えにしながら立ち上がる。そのまま深めに息を何度か吸い吐きすると、女性に肩をつかまれた。
「来い」
「……は?」
「まだ八時だ。帰るのはもうちょっと遅くてもいいよな?」
最初からずっとだが、ちょっと意味が分からなかった。
改めて正面から見た彼女の顔は美人のカテゴリーに入るほど整っていて、完璧に乗った攻撃的なメイクが獣のような威圧感を放っている。純粋に恐怖が湧いてきて思わず振りほどこうとしたけれど、私の肩をつかむ手は全然離れてくれなかった。
「……ごめんなさい、私帰らないと」
やっとの思いで絞り出した声も、女性の眼力に圧倒されて虚空に消える。
「本当にいいのかよ」
彼女の低い囁きは、なぜか驚くほどクリアに聞こえた。
「アタシは聞いてたぞ、さっきの」
全身に鳥肌が立つのを感じた。
さっきの、というのはつまり、ナナミが私に言っていたことか。このひとはあそこでずっと耳をすましていたのか。相変わらず怖かったけれど、彼女のもう一つ前の言葉を思い出す。
――本当に、いいんだろうか。私は。
「今日は……帰ります。宿題があるので」
「宿題?」
もしかして高校生だったか、と女性が呟く。首だけで肯定すると、手は離してくれた。
「……でも」
声の震えを必死で抑えながら、私は続ける。藁にもすがる思いとはきっと、こういう感情を指すのだろう。
明日からひとりになる私の味方なんて、もうこのひとくらいしかいないから。
「明日なら――」
「分かった、連絡先教えろ」
めちゃくちゃ食い気味だった。絞り出した私の勇気を半分くらい返してほしい。
連絡先を交換すると、彼女の名前が表示された。ただ『Maria』とだけ。
「マリナ、か。一文字違いだな」
そう言って笑ったその顔からは、一瞬だけ攻撃性が消えたような気がした。
「じゃ、また明日。夜六時にここで」
マリアはそう告げてさっさと行ってしまった。
その背中にしか、私の明日はなかった。
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