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――緊張とか、不安とか、心配とか、眼鏡とか。そういう余計なものは全部、楽屋に置いてきた。
外の寒さを少しも思い出させない熱気に包まれたフロアには、私を見つめる瞳だけがいくつもいくつも浮かんでいる。
世界の全てが静まりかえったようで、私の小さな息遣いだけが口の中から鼓膜を震わせる。
独特な埃っぽい匂いが鼻の奥をくすぐって、厳しい練習を積み重ねた日々の記憶を蘇らせる。
唾を飲み込めば、さっき飲んだはちみつレモンドリンクの甘酸っぱさが喉を駆け抜けていく。
右手で握るマイクには前のボーカルの温もりが残っていて、左手で支えるスタンドだけがやけに冷たい。
静寂を破るのはギターの低い音。はじめは小さく、次第に大きく。フィードバック奏法、だったっけ。
ノイズが十分に響き渡るまでのたった数秒が、私にはその何百倍も長く感じられた。
ハイハットとチャイナシンバルで荒々しく刻まれる遅いカウント。ひとつ、ふたつ。みっつめで大きく息を吸って、そして。
よっつめで、私は叫ぶ。
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