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「ねえシン。わたし、歌いたい」
レインは瞳を輝かせる。どうしたものかと思ったが、止める理由もない。
「物好きな嬢ちゃんだ。演奏者もいねえが好きにしな」
店内には暇を持て余した客が何人かいたが、歌なんぞに興味はないと酒をあおっている。
みな『今日』だけを見て生きている。
だが──レインの歌が始まると、状況は一変した。
掴み合いの喧嘩をしていた者、うたた寝していた者、泥酔していた者がみな、彼女の歌に引き込まれ、手と足を止めた。
まさに夢心地。
否。この辛い現実が夢と思えるような歌声。多分この瞬間は、みな『明日』をみていた。
歓声に包まれるステージ。なるほど歌姫か。
「どうだった? シン」
「素晴らしいかったよ」
拍手を送ると彼女は、ふふ。っと笑った。
まるで荒野に咲いた花のように。
シンの心には、かすかな感情が芽生えはじめていた。
二人の生活は苦ではなかった。金や食うものに困ることはあるが、少し満たされた毎日。
昼間はシンが働き、夜はライブハウスでレインが歌う。
色を無くした空、星の見えない夜。
手を伸ばしても届かない空の向こうは、まるで今の自分自身。
小さなベッドで眠るレインの髪に触れる。
なぜだろうか。彼女といることで、そこにあるはずのない空を見たような気がしていた。
(できることなら、二人で……どこかで静かに暮らそう)
いつしか想いは願いとなった。
だが常につきまとう『組織』の影。そして彼女を追う男たちの存在。
過去を忘れたレインと、過去を置いてきたシン。
明日に進むには、今日を乗り越えるしかない。
(そしてそれを背負うのは、オレだけでいい)
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