6.決戦 ~ふたりの未来へ~

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6.決戦 ~ふたりの未来へ~

 ママは深夜バラエティを見ながら晩酌中。その死角を抜き足差し足で通り抜け、ボクとニィニは家を出た。通学路から二筋外れ、天神様を過って右。人通りも絶えた町を突っ走り、今、秋月邸に至る。今や魔物の巣窟と化した屋敷に、ボクらは帰って来たのだ。 「お前、塀は自力で越えられるか?」 「任せとけ」  ニィニはみょみょみょーんと体をいっぱいに伸ばし、ゆうゆうと塀を乗り越えてしまった。ついでに向こう側から引っ張ってもらい、ボクも邸内に侵入する。中庭を横切って縁側から廊下に入り、できるだけ音を立てぬように早歩きで進む。目指すはひとつ、レナの寝室だ。 「っ! 待て姐さん、誰か来る」  耳をひくつかせたニィニがボクを制止する。曲がり角の向こうから足音が聞こえる。使用人がこちらへ向かっているのだろう。ボクは辺りを見回す。悪いことに隠れる場所が無い。 (上等。元より強行突破の心づもりさ……)  ボクはジャージの上を脱ぐと、金属バットに巻きつけた。そして曲がり角で待ち構える。そして何も知らぬ使用人の男が姿を現した瞬間、正面から脳天を殴りつけた! 鈍い音がして、男が物も言わずその場に崩れ落ちる。ニィニが引きつった声を漏らす。覆いのために殺傷力は抑えられている筈だが、安心のために一応ボクは男の息を確認する。 「……よし、死んでない。行こう」  ボクは先を急ぐ。隠れられる場面では隠れたが、それでも道中で使用人をもう二、三人はのしてしまった。後で謝ったら許してくれるだろうか……なんて気にしている余裕は無い。恐るべき吸血鬼がこの広い屋敷のどこに潜んでいるのか、ボクはまだ知らないのだから。そこの襖から? それとも次の角から? 必死について来るニィニの表情もひりついている。 「姐さんまだか? まだ着かないのかよ?」 「静かに……ほらそこだ。お前は外で見張っててくれ」  ニィニにそれだけ頼み、ボクはレナの部屋の襖戸を開け放った。 「レナ!」 部屋は薄暗く、中ではレナが既に寝支度を整えていた。 「たっ、珠樹さん! っ……どうして……?」 彼女は驚きに目を見張ったが、すぐに涙目へと変わった。忠告に耳を貸さないボクに怒っているのだろうか。それともむざむざ死地へ舞い戻ったボクの運命を儚んでいるのだろうか。 「どうして戻って来たのですか……早く、早く逃げて! 先輩はきっともうじき力を取り戻しますわ。私は……私はあなたまで犠牲にしたくはないのです!」  掴みかからんばかりの勢いでボクに詰め寄るレナ。ボクは駄目な奴だ。結局は自分のことばかりで、レナの気持ちをこれっぽっちも考えられない。それでもレナのため、やるべきことはひとつと決めていた。ボクはレナの手を強引に取った。 「ごめんレナ! 最低な奴で……ほんとごめん。でも、それでもボクはレナを未来へ連れて行きたい。もう一度……今度こそ、一緒に歩いて行きたいんだ!」 「珠樹さん……っ」  レナの表情が苦しげに歪む。彼女の手が逃げそうになるのをボクは懸命に握り締める。 「離さない。レナ、行こう」 「いけません。やっぱり駄目です。私は……」  頑ななレナ。部屋の外からはニィニが「姐さん早く!」としきりに急かしてくる。やむを得ない。このまま無理やりにでも連れて行こう……ボクがそう思ったその時であった。 「そうはさせないよ」  声が聞こえた。悟朗の声だ。どこだ? どこに居るのだ? 部屋中を見回しても悟朗の姿は見えない。ボクは咄嗟にレナを見た。彼女は一転してガタガタと身を震わせている。彼女の視線は、俯きながらも心なしか上へ……天井へ! (まさか!)  ボクはハッとして上を見た。すると……居た! 吸血鬼・枕崎悟朗が、天井の隅にヤモリのように貼り付いてボクらを見下ろしていたのだった。 「姐さぁん!」  慄き硬直していたボクを、ニィニの叫びが我に帰らせた。ボクはベルトからリキッドガンを抜き放ち、悟朗に向かって発砲した。しかし光弾は逸れて手前の蛍光灯を砕いた。悟朗がハッと嘲笑し天井から舞い降りて来る。ボクはレナの手を引いて部屋を飛び出した。そのまま逃げる。レナは脚をもつれさせながらもついて来る。しんがりはニィニだ。 「はっ、はっ……ニィニ後ろは!」 「ゼェハァ……来てねぇ! 来てねぇよ!」  悟朗は追いかけて来ていないのか? おかしい。追いかけて来ない筈は無いのだ。ならば何故? そんな直感がボクの足を少し鈍らせ……次の瞬間! すぐ前の天井の板がバリバリと破れ、悟朗が降って来た。間一髪、ボクはブレーキをかけて後ずさる。 「コンニャロー天井裏が住処かよぉ!」  ニィニが悲鳴に近い絶叫を放った。 「逃がしはしないよ」  悟朗が不気味な薄笑みでボクを捉えた。牙持つ触手が不気味に鎌首をもたげている。 「きっと来ると思っていたよ、俺の花嫁」 「気持ち悪い……それをやめろって言ってんだよ!」  ボクは何とか言い返した。しかし情けないことに足が竦んでいる。悟朗が放つ人ならざる者の威圧感、そしてボク自身の恐怖の記憶がボクから自由を奪っているのだ。と、その時、ボクの隙を突いてレナが手を振りほどいて、アッと言う間もなく飛び出した。 「やめて! やめてください先輩……どうか珠樹さんだけは!」  レナは悟朗に駆け寄ると、縋り付いて懇願した。 「お願いです、どうか珠樹さんには手を出さないで!」 「……レナよ、お前は本当にしょうがない奴だな」  悟朗はため息をつくとレナの頬を無造作に張った。レナは吹っ飛んで壁に打ち付けられた。 (あいつ! ……やりやがった!) 「もういい。後で殺してやるから待っていろ」  レナを見る悟朗の目は家畜を見るそれだった。悟朗は動けないレナの脇腹を蹴りつけた。 「っあ……っ!」  レナの呻く声が、ボクの怒りに火を点けた。 「悟朗―――――っ!」  雄叫びと共にボクはリキッドガンを撃った。今度は悟朗の右肩に命中。肉片と共に醜悪な体液が飛び散った。だが悟朗は薄笑みを崩さない。 「言っただろう、それじゃ俺は殺せない……と……ふっ……ぐっ! うぅぅぅぅぅっ!」  悟朗が余裕の様を見せつけようとした時、その顔が苦痛に歪み体が痙攣し始めた。前と同じ症状……いやもっと酷い。これはまさか! ボクは思わずガンとニィニを交互に見た。 「嘘だろ……本当に効いたぜぇ!」  ニィニも驚いている。宇宙から来た吸血鬼の弱点は本当にニンニクだったのだ。 「きっ、貴様……何を、俺に何をしたぁ!」  悟朗が怒りの形相で向かって来る。ニンニク弾は残り一発。撃ってみてわかったがリキッドガンに反動は殆ど無い。狙えば当たる。大丈夫、勝てる! 「終わりだ、枕崎悟朗!」 ボクはガンを構えた。しかし、その時であった。悟朗の触手が瞬時に長く長く伸び、鞭のようにしなってボクの手を打った。ガンが叩き落とされ、宙を舞って遠くに落ちた。 (あっ、しまった!)  拾いに行く暇は無い。ボクは咄嗟に金属バットから覆いを外し、悟朗の脳天めがけて振り下ろした。だが悟朗はそれを難無く手で受け止め、中ほどから握り潰してしまった。何という怪力か。ひしゃげて真っ二つに千切れたバットが床に転がる。ボクが唖然とした一瞬のうちに、悟朗はボクの肩を掴んでその場に組み敷いてしまった。 「姐さん! ……くっそぉ!」  ニィニがガンを拾いに走る。しかし悟朗は見逃さず、触手の鞭で容赦なく打った。物も言わず鞠のように吹っ飛んで行くニィニ。 「ニィニ!」  思わず叫ぶボクの顔に悟朗の体液がかかる。悟朗は肩から血と体液をぼたぼたと滴らせながら、まるで獣のような形相でボクを見下ろしている。 「何が未来だ……お前に必要なのはこの俺だけだ! 黙って俺のものになればいいんだ!」 「うるさいぞ過去の亡霊! レナの邪魔をするんじゃない!」  ボクは精一杯吠えたが、頼みのリキッドガンはこの手に無い。バットも何の役にも立たなかった。このままでは餌食になって終わりだ。どうする? どうする? (どうしようもないじゃないか! 畜生、ここで終わりなのか!)  悟朗の触手がボクに迫り、先端の牙がギラリと光る。いよいよ最期。だが……その最期の時はなかなか訪れなかった。悟朗がボクの首に牙を突きつけたまま動かず、硬直してしまっているのだ。ハァ、ハァと息は荒く、体液がただほとばしり続ける。 「レナよ……何の真似だ?」  ボクは息を呑んだ。悟朗の肩越しに見えたのは、なんとレナだった。レナがリキッドガンを手にしており、悟朗の後頭部に突きつけていたのだった。 「自分が何をしているかわかっているのか? 俺を害そうというのか? お前ごときが? 考え直せ! 身も心も、俺が居ないと生きていけない矮小なお前だぞ! おいレナぁ!」  悟朗の言葉はレナの心に格別刺さるようだ。彼女は胸を押さえてギュッと目を瞑り、 「ごめんなさい先輩……さよなら」  引き金を引いた。キュン! という音と共に閃光が悟朗の頭部を射抜いた。 「がっ……はぁぁぁぁぐっ……ひぐっ! うあっがががぁぁぁぁぁっ……あぁっ!」  おびただしい鮮血をまき散らし、悟朗が床をのたうち回る。肩からの出血も合わせて、廊下はもう血の海だ。と、そこでボクは気付いた。悟朗の肩の傷が治癒していないのだ。ただに負傷した時は、驚異的な速さで出血が止まって再生していたというのに。 (まさか、これがニンニクの効果? 再生能力を阻害するのか!)  ボクは辺りを探した。先程真っ二つに千切り折られたバットはすぐ側に転がっていた。無残にひしゃげた断面は、鋭利な刃物のようになっていた。ボクはその片割れを手に取ると、のたうつ悟朗の上に跨り……左胸をめがけて突き刺した! 「ぎぃゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!」  血も凍るような悟朗の絶叫。それに構わず、ボクは満身の力を込めてバットの杭を押し込み続ける。押し込み、捻り、上から叩き付け、無我夢中で心臓を破壊する。抵抗する悟朗に腕を掴まれ、骨にヒビなど入ったかもしれない。だが構うものか。 「レナをっ……返せぇぇぇぇぇ!」  ただありったけをボクは振り絞った。 やがて悟朗の抵抗は止んだ。ボクを掴んでいた腕がボトリと落ち、空気が抜けるようにしぼんでいく。腕だけでなく、脚も、体も、苦悶の表情で固まった顔も……禍々しい触手に至るまで、全てがしぼんでいく。そして最後はドロドロに溶けていく。過去の思い残しと一緒に溶けて流れて、一面の血の海に混じってわからなくなっていく。 (……さようなら。これでさようならだよ……ねぇ、先輩) 嗚咽が聴こえる。悟朗はボクの眼下で完全に消滅し、後には小さな骨の欠片だけが残った。ボクは放心してしまい、そのまま前のめりに倒れ込んでしまった。 「うおっ、姐さん大丈夫かぁ?」  血と粘液で溺れそうになるボクをごろりと裏返して助けてくれたのはニィニだった。 「ニィニお前……げほげほっ、生きてたのか。よかった……」 「へへへ、何とかな。……ありがとう姐さん、本当に感謝してもしきれないぜ」  そう言って涙ぐむニィニの頭をボクは撫でてやる。それだけが精一杯だ。ちょっと今は動けそうにない。全身から力が抜けてしまっている。どうしたものかとボクが参っていると、不意にボクの頭が持ち上げられ、柔らかい膝の上に乗せられた。 「私からもお礼を言わせてください、珠樹さん」  レナだった。レナが血だまりに座り込み、ボクに膝枕をしてくれていたのだった。 「レナ……駄目だよ。汚れちゃう」 「お互い様です」  そう言いながら、レナは袖でボクの顔を拭ってくれた。するとレナの顔がよく見えるようになり、それだけでボクは憔悴した気持ちが安らぐようだった。 「でも……これで良かったのかな。ボクは結局、君の大切なひとを……」 「未来へ」  ボクの言葉を遮るようにレナが言った。 「連れて行ってくださるんでしょう、ふたりの未来へ。私とても嬉しかった」 「レナ……っ! うん、約束する! 約束するよ!」  ボクの両目から涙が溢れた。レナ……ねぇレナ、話したいことが沢山あるんだ。  ひとつ、猫型宇宙人を飼い始めたこと。  ひとつ、親友がボクのもとに帰って来てくれたこと。  そしてもうひとつは……血液型がO型だとわかったこと。レナと一緒だよ! 《終劇》
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