3.拒絶、邂逅

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3.拒絶、邂逅

 そんなある日のことだった。昼休みに沙彩が突然真面目な顔でこう切り出した。 「……珠樹さぁ、やっぱり気になるんでしょ」  一瞬何のことかわからなかった。 「秋月さんのことよ。いっそのことアタックしちゃえばいいのに」  アタックとは。 「いや、沙彩、ボクは別に……大丈夫だから」 「ウソつかなーい。ほら坊や、目ヤニとお塩でベタベタよ?」  沙彩がボクの顔にハンカチを押し付けた。さっきの授業中は殆ど寝て過ごしたのだが、一体何の夢を見ていたのやら……ボクは気付かぬうちに泣いていたらしい。 「あんたねー、振られたら振られっ放しで、ちっとも自分の気持ちをぶつけてないじゃない。物わかりのいい振りしてても辛いだけよ。本当は秋月さんと仲直りしたいでしょ?」  やはりボクは坊やで上等だ。敵わない。沙彩はボクの気持ちなんて見抜いていた。溜まり続けてとうとう限界を迎え、夢にまで影響を及ぼしている、割り切り難いこのもやもやを。 「はっきりさせようじゃないの。坊やは秋月さんとどうしたいのよ?」 「……ボクは」  レナと話したい。レナを親友と呼びたいし、親友と呼ばれたい。家に遊びに行きたいし、ボクの家にも来て欲しい。仲良くしたいし、他愛もないことで言い合いもしたい。ふと恋しくなった時に側に居てもらいたいし、レナにとってボクもそうでありたいと思っているんだ。 「ボクは、レナをギュッとしたい……」 実際、それが色々ひっくるめた正直な気持ちだった。沙彩がボクの肩をポンと叩く。 「だったら気持ちのままに、ね。大丈夫だよ親友なんだから。ほら、秋月さん来たよ」  沙彩の指差す方を見ると、確かにレナが廊下を歩いていた。 「……わかった。行って来る」 ボクは沙彩の手に触れて少し勇気を貰ってから席を立った。 (気持ちのまま……気持ちのままに……) レナは相変わらずこちらを一瞥すらしない。あっと言う間に通り過ぎてしまう彼女の背中をボクは追いかける。そして彼女との間合いを慎重に図り……思い切り抱き着いた。 「れーなっ!」 「きゃっ……珠樹さん、あなた何を……ふざけないで!」  物凄く久しぶりに名前を呼んでもらった気がする。だが今は感激している場合ではない。 「一体どうしちゃったのさ? 全然口利いてくれないし、一緒に帰ってくれないし、何て言うか~~~レナの癖に暗いし! ねぇボク何かした? レナの気に障ることしたかな?」  ボクはまくし立てながらレナをぎゅうぎゅうと抱きしめる。一方のレナはボクの腕にすっぽり収まった状態でじたばたと抵抗している。 「あなたには関わりの無いことですわ! もうっ……離してください!」 「ちゃんと聞くまで離さない!」  ひたすら逃げようとするレナと、ボクは格闘する。と、その拍子に、レナの長い黒髪がワッと振り乱れて……隠されていたうなじが明らかになった。それを見てボクは戦慄した。 「レナ……っ!」 なんとレナの首の後ろには、キリで穿ったような二つの傷痕があったのだ。 「レナ、これは……?」  あの夜の恐怖がボクの中で蘇る。まさか吸血鬼の魔手がレナの身にも及んでいるとでも言うのか。それが受け入れがたく、ボクは震える手でレナのうなじに触れた。 「触らないで!」  一喝と共に、パンッと音が鳴った。頬がビリビリと痺れる感覚も遅れてやって来た。レナがボクの頬を平手で張ったのだ。信じられなかった。ボクはきっと目を白黒させていたことだろう。レナがたじろぐように後ずさる。ボクは反射的に一歩追う。 「来ないで!」  再びの一喝に、ボクは怯んで立ち止まる。 「いけません。穢れが、移りますわ……」  レナの言っていることがわからない。こんなにも露骨に拒絶の意思を示されたのは、後にも先にも経験が無い。泣いていいものか、怒っていいものか……それさえわかりかねる。そうやって立ち尽くすボクを認めると、レナは踵を返して歩き去った。 (穢れ? 何の穢れ……?)  残されたボクは自分の手をじっと見つめた。今しがたレナが払った手、うなじの傷跡に触れた手だ。レナはこの手を穢れと言ったのだろうか。本当に? (もしかして、穢れっていうのはボクに言ったんじゃなくて……)  来ないでと叫んだレナの顔をボクは見ていた。その瞳には確かに涙が浮かんでいた。  あの後沙彩は、無責任なことを言ったとボクに謝ってくれた。しかし、ボクは沙彩を責める気持ちは毛頭無かった。沙彩の前向きな励ましは本当に嬉しかったからだ。 「ほんとにごめんね……何なら、仇討とうか?」  この厚意は丁重にお断りした。  そして放課後、ボクはレナの家……つまり秋月邸に向かった。レナはボクを拒んだが、彼女のうなじには確かに吸血鬼の噛み痕があったのだ。放っておけるわけがない。 沙彩の助言は大事なことを教えてくれた。レナに嫌われたくないからといって、顔色ばかり窺っていては何も始まらない。それに気付かなかったばかりに、ボクはレナの身に迫っていた危機を全く見逃していたのではないか! (レナは吸血鬼に噛まれてる。血はどれくらい吸われたんだろうか? それはいつ? まさか命にかかわるなんてことは……ああ、どうか無事でいて!)  通学路から二筋外れ、天神様を過って右。これまでは怖気づいて通れなかった道を駆けに駆け、ボクはレナの家の門前まで来た。竹林を背負う、木造平屋建ての風情ある邸宅……厳かな門扉が何だか懐かしい。少し緊張したが、意を決してボクは呼び鈴に手を伸ばした。すると、背後からボクに声をかける者があった。 「なーにしてんだ?」  驚いて振り向くと、そこにはみょーんと胴体を伸ばした猫。なんとニィニが居た。 「ちょっ、お前なんでここにいるの?」 「あぁ? 姐さんがなかなか帰って来なくて心配になるだろ? 発信機の電源入れるだろ? そしたらあらぬ方向から反応が出てるだろ? もう居ても立ってもいられなくて」  色々ぬかすが、要するにこいつはボクをつけてきたってことだ。 「外で喋るな。伸びるな。発信機だか何だか知らないけど勝手に付けるな。追って来るな。あと、ボクが帰りにどこに寄ろうが勝手だろ。ほら、帰れ帰れ」  ニィニの顔面をぐいぐい押すと、ニィニはボクの手にしがみついて抵抗する。 「ぐぐぐ、寂しいだろうがよぉ。こないだから姐さん様子がおかしいし、何かトラブってるなら話聞いてやりたいだろうがよぉ……てか遊ぼうぜぇ! な~ぁ!」  ニィニがまた体を伸ばしてボクにまとわりつく。 「ええい、鬱陶しい! わかったから先に帰ってな。ボクは用事があるんだよ」 「は? いやいや、姐さんはオレと一緒に帰るんだぜ」 ニィニがボクの鞄を掴んでぐいぐいと引っ張って来る。どうしたというのか。 「なんでお前が決めるんだよ。ボクはまだ帰らないぞ」 「あーあー聞こえねぇ、聞こえねぇぞぉ。早く帰って遊ぼう。そうしよう、な?」  ニィニはとうとうボクの頭を直接つかんで引っ張り始めた。駄々をこねるような奴ではないのだが……何が彼をここまでさせるのだろう。だがボクとて後には退けないのだ。 「やめろってこの……離せって! 友達がピンチなんだよ!」  ボクはそう一喝した。すると、ニィニが目を丸くしてボクを見た。 「姐さん……それはまさか、吸血鬼絡みじゃねぇだろうな」  驚いた。予想外の言葉がニィニの口から出て来た。 「何でそれを……? おい、もしかしてだけど、お前何か知ってるのか? お前がこの星に来た理由、あの場所で捨て猫みたいに座ってた理由、それも吸血鬼に関係があるのか?」 「全部話す。全部話すよ。だから姐さん、今は帰ろう」  ニィニの猫の額は玉の汗で焦りが窺える。だがボクの用件も一刻を争うのだ。 「なんでそうなる? レナを放っておくなんてできるか!」 「姐さんの命が危ないんだっての!」  とうとう言い合いが始まろうとしたその時であった。屋敷の門が開き、男が出て来た。 「お客様ですか?……ああ、あなたは珠樹様。お久しゅうございます」  平坦な声そう尋ねた男は、ボクにも見覚えのある秋月家の使用人だった。ボクが会釈をすると、男は「さあどうぞ」とボクを招き入れた。 「おいっ、姐さん!」  ニィニがボクの脚を引っ張って止める。 「お前は帰ったらいい。ボクは行くよ」  強引にニィニを振りほどき、ボクは屋敷に入って行く。ニィニはしばし立ち尽くしていたが……やがて駆け出してボクの背中に飛びついて来た。 「オレも行く。姐さんをひとりにはさせねぇよ」 「……何なんだよ、お前」  ボクはニィニを正面に抱き直してひとまず連れて行く。すると背後で門が閉まった。  屋敷の中を歩くのも久しぶりだ。もともと落ち着いた雰囲気の家だったと思うが、今日は何だか照明が暗い気がする。廊下など、日が暮れたら殆ど真っ暗になるのではないか。 「ただいま節電中でして。ご不便をおかけします」  男がそう言って邸内を先導してくれる。 「レナって、もう帰ってますか?」 「今日は習い事で夜まで帰られません。どうぞ、お嬢様のお部屋でお待ちになっていてください。珠樹様がいらっしゃるのは久々のこと……お嬢様もお喜びになるでしょう」  ボクは複雑だったが何とか愛想笑いを返した。 やがてボクらは男と別れてレナの部屋に入った。レナの部屋は、暗さを除けば最後に来た時と変わりないように見える。当然だ、こうなるまでは三日に一度は来ていたのだから。 「ぶはぁ~! この家、疲れる!」  二人きりになったのでニィニが人語を解禁する。 「……なぁ姐さん、本当にここで何時間も待つのかよ?」  ニィニの警戒ぶりは尋常ではない。今も全身の毛を逆立てている。 「お前は一体、何に怯えてるのさ?」  ボクはレナのベッドに腰掛けた。ひとまずレナを待って、今度こそ事情を聴き出さなくてはならない。それこそ、成らねばここを動かぬ覚悟でだ。そして、何とかしてレナを吸血鬼から守らなければならない。……ボクにできるかどうかはわからないけど。 (レナ、ここまで無事に帰って来てくれよ。ボクのところまで……)  ボクは心の中で祈った。一方のニィニはそわそわと挙動不審で落ち着きが無く、しばらくするとそこら中の棚やら引き出しやらを手当たり次第に開けて物色し始めた。 「うわっ、ちょっと何してんの!」  ボクは慌ててニィニを押さえようとするが、ニィニは発狂したようにぴょんぴょんと跳ねまわって捕まらない。 「やめろって! 本当にどうしたんだよ!」 「何が仕掛けられてるかわからねぇからな! 安心しろぉ、大丈夫だぁ、姐さんはオレが守ってやるからなぁ……っ!」  そこら中を荒らしまわるニィニの目は完全に座っている。わけがわからない。ボクが唖然としていると、とうとうニィニはレナの洋服箪笥に手を出し始めた。 「わわわっ、お前! それだけは駄目だぁーっ!」  ボクは堪らず飛びついて制止しようとしたが、ちょうどニィニは箪笥の引き出しを引っ張ったところだった。ボクがニィニにタックルした拍子に引き出しが完全に引っこ抜けて落ち、白やピンクの薄布たちが宙を舞って雨と降り注いだ。 「いってて……姐さん、何すんだよ!」 「こっちの台詞だ! 頭おかしいんじゃないの……ああもう戻さなきゃ……」  乱れて飛び散ってしまった下着やショーツの類をボクはおっかなびっくりで拾い集める。こんなところ、レナに見られたら軽く死んでしまえるだろう。レナを守りたいのに、この醜態では何をしに来たのかわからないではないか。  一方のニィニは、今度は衣類の一枚一枚を険しい目で検分している。 「ううむ……一見何の変哲も無いブラやパンティーだが、油断はできな……へぶっ!」  ボクはニィニの頭を重いきりしばいた。 「いい加減にしろ! ったく……終いにゃ……」  終いにゃ外に放り出すぞ……と言いかけたその時、ボクは衣類の山に紛れて何やら異質なものを見付けた。拾い上げてみると、それはラミネート加工された新聞記事の切り抜きだった。 「なんでこんなものが……?」  感じからして三面記事といったところだろうか。見出しには『○○駅で人身事故 大学生死亡 東京都』とあった。それはありふれた記事に思えた。しかし、文面に添えられていた犠牲者の写真を見て、ボクは背筋が瞬時に凍りつく思いがした。 「吸血鬼!」  写真の人物の顔を見て、ボクの頭に真っ先に浮かんだのはあの夜の吸血鬼だった。 「これは吸血鬼……いや、でも、違うぞ。これは……」  すぐに違和感に襲われ考え直した。この顔は昨日今日見て覚えたようなものではない。数週間前に公園で遭遇して初めて認識したようなものでもない。この顔をボクは知っていた。 「枕崎……悟朗か!」  写真の下に記された名前が、ボクの直感を裏付けた。死亡記事に伝えられていた犠牲者は、間違いなくレナが以前慕っていた枕崎悟朗だったのだ。 (こいつ……東京に出てから事故に遭って死んでたのか!)  全く寝耳に水だった。切り抜きの隅に載っていた日付を見ると、それは今から二年と半年も前……悟朗が東京の大学へ進学したその年の夏だった。何てことだ。レナと彼との仲は自然消滅したものと思っていたが、これでは殆ど死別のようなものではないか。 (レナ、そんなこと一言も言わなかった……。まさか知ってて黙ってたの? いつから? そんなの、わからないよ……だって、だってレナはそんな素振り一度も……)  愕然とするボクの脇からニィニが新聞記事を覗きこんで来た。 「こいつは……っ! 姐さん、こいつだよ! こいつが吸血鬼なんだ!」 「……やっぱりそうなのか。でも、だったらどうして……」  ボクの見間違いではなかったらしい。吸血鬼と悟朗は全く同じ顔をしている。思い出したくもなくて記憶の奥底に沈めていた顔だったが、改めて見ると同一人物としか思えない。問題はニィニが何故それを知っているのかということだ。 と、その時だった。 「なに、簡単なことさ」  その場に居ない筈の第三者の声が、ボクの背後……部屋の襖戸の方からした。 「俺は東京で事故に遭い、死んだ」  再び、声。それはボクも知っている声だった。低く、少し掠れた声。この声がレナを愛で、レナを虜にするのかと思うと夜も眠れなかった。たまさかに会った時には顔も見たくなかったので、わざとらしく俯いて声のみを聞いていたものだ。 「死んでこの町に戻って来たんだ……そして蘇った」  三度声がした。ニィニは震え上がって硬直している。ボクは拳を握って振り返った。果たしてそこにはあの夜見た吸血鬼が……いや、吸血鬼と化した枕崎悟朗の姿があった。 《つづく》
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