4.宇宙から来た怪物

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4.宇宙から来た怪物

 色の白い顔、物憂げに垂れた目……ボクの中に留まっていた枕崎悟朗という男の姿かたち、その印象は時を止めたかのように変わっていない。 「……あんただったんだな、先輩」  悟朗が部屋に入って来た気配は全くしなかった。誰にも気取られず忍び寄る術をこの吸血鬼は持っているらしい。食事によって真っ赤に染まっていた髪の毛は、今は薄い紅色だ。毛の内部に蓄えた血液が消化され、そろそろ空腹といったところだろうか。 「……あんたが、レナの血を吸ったのか?」  ボクがそう問うと、悟朗は嘲るようにケタケタと笑い声を立てた。癇に障る笑顔だ。 「そんなこと、今はいいじゃないか。……また会えたな、珠樹よ」  こいつ、今レナのことをそんなことと言ったか。 「公園でお前を見かけた時、すぐにわかった。とても懐かしく思ったよ。残念ながら逃げられてしまったが……あの時から俺はお前を手に入れようと心に決めていたんだ」 「ボクを……手に入れる?」  悟朗は一体何を言っているのだろうか。ニィニが震える声で補足してくれた。 「吸血鬼は、自分の体液を人間に注入することで吸血鬼因子を感染させるんだよ。そして、感染した人間は同じ吸血鬼になる……こいつはそうやって仲間を増やす」  悟朗は猫が喋るのを見て少し眉を動かしたが、やがてニヤリと笑みを浮かべた。 「そうか、貴様はあの時の……。ククク、殺してやった筈だが、何とも面白い」 「っ!……ひえっ!」  ニィニが慌てて部屋の隅に引っ込む。一方のボクは頭がついて行きかねていた。ニィニが悟朗に殺されたということもそうだし、それにボクを手に入れるというのはつまり、ボクを吸血鬼にするということらしいが、その意味は? 困惑するボクに、悟朗は更にこう告げた。 「ずっと待っていた。珠樹、お前を花嫁にするこの時が来るのをな」  その言葉で、ボクは自分に向けられている感情を理解した。 「は、な、よ、め、だってぇ~~~~~?」 そして吐き気がするほど憤った。よりにもよって悟朗はそんなことを考えていたのか。 「誰がお前なんか! ふざけるのも大概に……うぐっ!」  言い終わる前に、ボクの眼前には悟朗が迫っていた。まるで瞬間移動のような素早さで距離を詰められ、ボクはなす術なく床に押し倒されてしまった。 「かはっ……」  後頭部を打ち付けクラクラするボクの視界に、悟朗の顔が大写しになる。垂れた目と半開きの口元が作り出す、ゾッとするような薄笑みがボクを組み敷いている。 「や、やめろ……ふざけるな! こんなこと……っ、ただじゃおかないぞ!」 「いいね……お前のそういう媚びないところ、凄くそそられる。いつもニコニコして、言ったら言っただけ聞いてくれる女にはもう飽き飽きしてたんだ」  サディスティックに笑う悟朗の髪の毛が、一房ふわりと浮き上がった。あの夜見たのと同じ……いや、距離が近い分よりよくわかる。豊かな長髪を掻き分けて出て来たのは、まるで寒天のような質感を持った一本の触手だったのだ! 髪と同じ色をしており、髪に紛れて生えている。しかし、それは確かに人間の体には存在し得ない異質な器官だった。 (化け物……っ!)  ボクは思わず言葉を失くす。 「クフフッ……怖いか? 気の強いお前を、今から俺が征服してやるよ」  悟朗の触手はボクの恐怖を煽るかのようにユラユラと揺れ動き、やがてその先端から二本の尖った管が突き出て来た。太い注射針のようなそれは、まさしく犠牲者のうなじに突き刺し血を吸い取る管状の牙だろう。だが、今は牙の先から逆に何かの液体がしたたり落ちている。赤い血液と醜悪に絡み合う透明な粘液。それは怪物の体液だ! 「俺の血を受けるがいい」  サッと血の気が引いた。ボクは手足をばたつかせて懸命に抵抗しようとするが、悟朗の両腕が物凄い力でボクを押さえ付け、自由を奪ってしまっている。ボクの頭はなすすべなく横向きにされ、後ろ髪がかき上げられてうなじが露わになった。 「いやだ……っ! いやだいやだいやだ! 畜生……お前なんかに! お前なんかに! こんちくしょおーーーーーっ!」  プライドごと蹂躙されるボクの叫びが、部屋中にこだました。だがそれは悟朗の嗜虐心をくすぐるのみ。おぞましい体液をたたえた牙が、いよいよボクの体内を侵さんとする。  ところがその刹那、 キュン! という鋭い音が空気をつんざき、悟朗の触手が中ほどから弾けてちぎれ飛んだ。 「ぐっ……うぅぅぅぅ!」  苦痛に顔を歪め、悟朗がのけぞる。その鼻先を光の弾が高速で掠めて行き、背後にあった花瓶を粉砕した。相当な威力を持った弾丸がどこからか続けて放たれたのだ。ボクはこの隙に悟朗の体の下から脱出し、弾丸の飛んで来た方向を見た。果たしてそれは……ああなんと、光弾を撃ったのはニィニだった。 「姐さん、今のうちに逃げろ!」  ニィニの手を見ると、ぬいぐるみのように寸足らずな右手の先がパカッと開き、中から小さな銃身が突出していた。それが悟朗を狙い撃ったのだ。 「ニィニ、お前!」 「もたもたするなぁ! あと一発しか無い!」  そう言っているうちにも、悟朗が再びボクの背後から襲い来る。しまったと思ったが、ここでニィニが最後の一発を発砲。今度は悟朗の頭に命中した。右目の上あたりが爆ぜ、おびただしい量の血と体液が飛び散る。凄惨な光景にボクは気が遠くなりかけたが、ここで立ち止まってはいけない。ボクは気力を振り絞って部屋を飛び出した。 「ニィニ、早く!」  後からぴょこぴょこついて来るニィニを抱き止め、ボクは廊下を駆けた。 「誰か! 誰かーっ!」  すぐに人は見当たらないが、とにかく危機を知らせるしかない。よりにもよって吸血鬼がこの屋敷に侵入していたのだ。緊急事態なのだ。 「姐さん、助けは期待するな! とにかく出口に走れ!」 「あぁ? 何だって?」  ニィニの忠告の意味もわからぬまま、ボクは出口を目指して走った。すると、曲がり角の向こうから使用人の男たちが三人どやどやとやって来た。ボクの声を聞きつけたのだろうか。 「すみません、警察! 警察を呼んでください! ボクはレナを探しに行きますから!」  ボクは男たちに訴えた。しかし男たちはそれには何の反応も見せず、ただ突っ立ってボクの進路を塞いでいるだけだ。おかしいと思った時にはもう遅かった。男たちは呼吸を合わせてボクを取り囲み、三人がかりでがっちりと押さえ付けてしまったのだ。 「ちょ、ちょっとぉ!」  パニックになりかけたボクだったが、その時、ボクの腰を押さえている男のうなじが目に入った。そこには悟朗の牙に穿たれた痕があった。 「そういう……ことか!」 「だから言わんこっちゃない……」  ニィニがボクの腕の中でうなだれる。ニィニがこの屋敷に入ってから盛んに警戒していた理由がやっとわかった。最早レナが吸血鬼に狙われているなどという段階ではなかったのだ。既にこの屋敷自体が吸血鬼である悟朗の根城。屋敷の全てが悟朗の支配下にあったのだ。  やがて悟朗が血を滴らせながらこちらへやって来た。重傷に見えるが、驚いたことに足取りはしっかりとしている。更によく見ると、体は血まみれだが新たな出血は見受けられず……ちぎれた触手に至っては完全に再生してユラユラと蠢いている。 (なんてこった……あれだけやられても致命傷にならないのか!)  吸血鬼の、文字通り化け物じみた生命力にボクは戦慄した。悟朗はケタケタと笑いながらどんどんこちらへ歩み寄って来る。 「少し驚いたが、あの程度の武器で俺は殺せないよ。諦めるんだな」  いよいよ悟朗がボクに手が届く距離まで迫ろうとした時、不意にニィニがボクの腕の中から飛び出して悟朗に飛びかかった。 「ウニャアーーーーーッ! このこのこのこの!」  ニィニは悟朗の頭にしがみつき、ポコポコと殴りつける。健気な抵抗だが、それはあまりにも非力すぎた。悟朗はすぐにニィニの頭を引っ掴み、指を喰い込ませて引き裂かんとする。 「虫けらが」 「フギャアアアアアアア!」  ニィニが絶叫する。ボクは飛び出して助けに行きたかったが、手も足も押さえられて身動きができない。とうとうニィニが引き裂かれる……というその時、どうしたことだろう、悟朗が突然苦しみ始め、手を離してニィニを解放した。 「うっ……ぐぐっ……か、は……っ!」  悟朗の脚はガクガクと震え、両手は服の上から体中を掻きむしっている。額は玉の汗だ。 (なんだ……? 何が起こってる……?)  吸血鬼に起こった突然の異変。ボクは床の上で伸びているニィニを咄嗟に見やった。 (まさか、ニィニが何かしたのか? 見た感じ特別なことはしてなかったけど……)  ボクは動けないままに思考を巡らすが、答えはそう簡単には見つからない。一方、悟朗の発作は激しさを増し、息も絶え絶えといった様子だ。 「く、くそぉ……っ、おい、そいつらを……座敷牢に放り込んでおけぇっ!」  使用人たちにそう言い残し、悟朗はよろよろとした足取りで去って行った。  屋敷の奥の寂しい一角。ただの小部屋だった所が今は座敷牢になっており、ボクとニィニはそこに閉じ込められた。ボクは特に拘束などされなかったのでまだ良かった。だがニィニは小鳥用かと思う程小さなケージに押し込められ、部屋の隅に吊るされてしまった。 「姐さん……すまねぇ。こんなことになっちまって……」  あんまりな扱いもあってニィニはすっかりしょげ返ってしまっている。 「なんで謝るの。さっき助けてくれたじゃないか」  今こうして命があるのはニィニのおかげだ。いきなり手から銃を生やして発砲し始めた時は驚いたが、先程の彼はなかなか格好良かったと思う。 「まあ結果としてこうなったけど……それでも感謝してるよ」 「いや、違うんだ。違うんだよ姐さん」  ニィニは辛そうに顔を伏せた。 「この一件……全ては俺が種を撒いたことなんだよ」 「……どういうこと?」  ボクは努めて優しい口調で尋ねた。ニィニは小さく呼吸を繰り返し、やがて切り出した。 「オレの故郷の星では、王立の研究所が人体改造の研究に精を出しててな。ぶっちゃけ、ろくでもない薬や機械も沢山作ってた。まあ自分の星の国民で試してたら流石にやばいんで、似たような生態系のある惑星を探してそこを生体実験の場にしてたんだ」 「他の星で……」  わかるような気がする。遥か遠くの星であればある程、気も咎めないのかもしれない。 「もしかして、それが地球?」  ボクの問いに、ニィニはギュッと目を瞑って頷いた。 「ここも含めた色んな惑星だ。だけどそれも非人道的だって反発する人は多かったんだ。表立った実験は難しくなったんだが、計画は潰えなかった。最近じゃ何も知らない小役人や平職員をだまくらかして実験星に飛ばしてるなんて噂が流れてたよ。ああ、ただの噂だと思ってた……油断してたんだ……まさか自分がそんなことになるなんて……っ!」  ニィニはケージを殴りつけた。 「どのみち、オレの立場じゃ上からの命令には逆らえない。指示通りこの星に来て、よくわからねぇ薬を墓場の遺骨と反応させたよ。それがあの悟朗の墓だったんだ」  だんだんボクにも話が見えて来た。悟朗は東京に出た直後に命を落とし、遺骨となってこの町の墓地に眠っていた。そこにニィニがやって来て、怪しい薬だかを使ったのがおそらくひと月程前のこと。レナの態度が一変したのもその頃からだ。悟朗がこの屋敷を乗っ取っているのを目の当たりにした今、関係は火を見るより明らかだ。 「ニィニが渡された薬は、死人を吸血鬼にして蘇らせる薬だった……そうなんだな?」 「この星じゃそう呼ぶらしいな。他人の血液をエネルギーに変えて並外れたパワーを発揮する新生物……後になって通達されたお題目だが、冗談じゃない! あんなのただの化け物だ! オレは蘇った悟朗に真っ先に殺された。そしてこの予備のボディで目覚めたんだ」  言いながら、ニィニが右手の銃を出し入れする。改めて見ると極めて機械的だ。 「それ本当の体じゃなかったんだな。てっきり猫型宇宙人だとばっかり」  ボクがそう言うと、ニィニは自嘲ぎみにハッと笑った。 「本来は姐さんたちとそう変わらない姿をしてたよ。それにこのボディは別にセカンドライフ用でも何でもねぇんだ。本体が風邪とかで動けない時でも最低限働くためのもんなんだよ! ハハッ! 安月給にハードワークで長いこと耐えてきた結果がこの仕打ちってわけ……ああああもう嫌だ! もう沢山だ! 女子高生のペットになりたいぃぃぃぃぃ……!」  ニィニはとうとう泣き出してしまった。ボクはケージの隙間から指で彼の頭を撫でた。 「おーよしよし……つらかったな、しんどかったな」 ニィニが宇宙人であると知った時から、彼が心に何かしら傷を負っているのは察していたが、これほどのものとは思わなかった。話を聞けば確かに吸血鬼騒ぎを起こしたのはニィニかもしれないが、どう考えても彼は犠牲者のひとりではないか。 「ニィニは悪くないよ。誰もニィニを責めたりするもんか」  ボクはニィニを憐れまずには居られなかった。しかし、ニィニはボクの指にすがりながらもブンブンと首を横に振った。 「オレがいけなかったんだ。何かできたかもしれねぇのに、全て放り出して猫になりきっちまった。オレが姐さんちでのうのうと暮らしてる間に、悟朗は何人も犠牲にしただろ。挙句の果てに姐さんの友達まで……。本当にすまねぇ、オレが不甲斐ないばっかりに……」  そう言われるとボクとしては複雑だった。事実、レナが悟朗の毒牙にかかっているのだ。 (そうだ、レナはどうしただろう。家がこんな状態で、レナは……)  ボクがそう思ったまさにその時、誰かの足取りが廊下を軋ませる音がした。振り返ると、鉄格子の向こうに居たのはレナその人だった。 《つづく》
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