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5.真実
「珠樹さん……」
「レナっ!」
ボクは鉄格子に飛びついた。
「レナ、大丈夫なの? 血はまだある? まさか吸血鬼にされたなんてことは……」
矢継ぎ早に質問が飛び出してしまうボクを、レナはシーッと制した。どうやら周囲を気にしているらしい。慌ててボクは口を閉ざした。
「……私は大丈夫です。少し血を吸われただけですわ。あなたは……やっぱりあなたは優しいのですね……私に構わないでと言ったのに……」
悲しげなレナ。ボクは鉄格子から手を伸ばして彼女の手を握った。
「放っておけないよ。レナはボクの大事なひとだもの」
するとレナは少し涙ぐんだが、すぐにボクの手を払いのけてしまった。
「珠樹さん……いけませんわ。私の穢れが珠樹さんに移ってしまいます」
また「穢れ」だ。一体どういうことなのか。レナは穢れてなどいない筈だ。
「レナ、事情は全部このニィニから聞いたんだ。悟朗が吸血鬼だってことも」
ボクがそう言うと、レナは不思議そうにニィニを見やった。だがニィニが「……よぉ、あんただったのか。生きてたんだな」と言うと、彼女はハッとして口元を覆った。
「そのお声……まさかあの時の!」
「えっ、レナ、知ってるの?」
今度はボクが驚いてしまった。
「その方、ニィニさんと仰るのですね。珠樹さん、私は先輩が蘇るその場に立ち会ったのです……ニィニさんと一緒に」
ボクはまさかと思いニィニを見た。するとニィニは「ああ」と頷いた。
「悟朗の骨が吸血鬼として蘇った時のことだ。まだ何も知らなかったオレは怖くて隠れてたんだが……丁度その時、彼女が悟朗の墓参りだかで来てたんだ。悟朗は最初に目に入った彼女に襲い掛かった。オレは思わず止めに入っちまって、そんで殺されたんだよ」
何てことだ。それでは、ニィニはレナを吸血鬼から守ってくれたというのか。ボクはいよいよニィニに足を向けて寝られなくなったわけだ。
「……むごい殺され方でしたわ。体中の血を一滴残らず吸い取られて。けれど空腹を満たして冷静になった先輩は私のことをわかってくださいました。私は殺されることなく、この屋敷を先輩の住処として提供することとなりました。隷属の証として噛み痕を付けられて」
そう言って、レナはうなじの傷跡に手をやった。
「この噛み痕を付けられた者は、先輩のために働くしもべとなるようです。操るだとか洗脳だとか、そこまでの強制力は無いようなのですが……それでも、私を始め使用人たちも、どうしても先輩に利するように行動してしまうのですわ。私にできることと言えば、珠樹さんを遠ざけて先輩の目に留まらないようにすることぐらい……」
「レナ……そうだったの」
レナがここ最近素っ気なくなったのは……軽い無視と言える程に冷たくなったのは、全てボクのためだったのだ。レナは変わってなどいなかった。レナの心の中にボクの場所は変わらずにあったのだ。それがわかってボクは目頭が熱くなった。
「今、先輩は気分が優れないと仰って眠っています。私にも原因はわかりませんが、これは千載一遇のチャンスですわ。ここを開けますので、どうぞお二人は逃げてください」
レナは周囲に気を配りながら、鍵を取り出して鉄扉を開放した。
「さあ、早く」
「レナもだよ。レナも一緒に逃げよう。こんな所に居ちゃいけない」
ボクはレナの手を引いて連れて行こうとした。しかしレナはその場を動こうとしない。
「私は一緒には行けませんわ。噛み痕がある以上、あなたに危害を加えてしまうかもしれませんし。それに……珠樹さん、私はこのままでいいと思っているのです」
「えっ……?」
どうして。どうしてそんなことを言うのか。ボクにはわからなかった。
「二年前、先輩が東京へ旅立つ時、私には先輩を引き留める力がありませんでした。子どもの身と思って諦めていましたが……程無くして先輩はこの世を去ってしまわれました。私はずっと後悔の念に苛まれていたのです。どうして先輩を繋ぎとめておかなかったのかと」
そう語るレナの表情は、不思議と穏やかなものだった。
「ですが運命の悪戯か、先輩は帰って来てくださいました。この上はもう二度と先輩の手を離すまい、先輩のために一生を捧げよう……それが私の果たすべき償いだと思ったのです」
くしゃっと笑うレナが、痛い。ボクの心に痛い。
「いいえ……むしろ今では先輩に尽くすことが私の喜びになりつつあるのです。例え先輩に操られているのだとしても、ニィニさんや他の方々がどれだけ犠牲になろうとも、ですわ。ほらね……私は醜いでしょう? 穢れているでしょう?」
やめて。やめてくれ。ボクはそんなレナを見たくはない。だが、そんな彼女にかける言葉がボクにはどうしても見つからない。そうしている内にレナが逆にボクの手を引き、ケージから出したニィニをも抱えて歩いて行く。抜き足差し足で廊下を進み、曲がり角に隠れて使用人たちをやり過ごし……いずれもボクはレナのなすがままだった。
やがてボクたちは屋敷から脱出することができた。既に陽はとっぷりと暮れている。
「こんなことができるのは、先輩の力が弱まっている今この時だけですわ。次はありませんから……ですから珠樹さん……もう二度と、ここには来ないでくださいましね」
言いざま、レナが門を閉めた。蝶番の悲鳴がボクを冷たく突き放すようだった。
家に帰りつくと、ボクとニィニはソファーで少し眠った。そしてママ自慢のパンチの効いた夕食を食べ、風呂に入った。必要以上には物も言わず、とにかく疲弊した体を休めることに注力した。しかしボクが無口になるのは何も疲れの所為だけとは限らない。そしてそれはきっとニィニも同じなのだろう。
「……悟朗は動いてねぇ。追って来てもいねぇし、獲物を探しに出てもいねぇようだ」
ジャージに着替えて後は寝るだけという時、部屋でパソコンを見ていたニィニがおもむろにそう言った。画面上には見慣れないウィンドウが開いており、何やら地図上に赤い点が明滅している。いつの間にか自前のアプリだかソフトだかを入れていたらしい。
「上から送られて来てた、吸血鬼追跡用レーダーだ。これで奴の位置を把握して、いざという時は姐さんだけでも守ろうって……そう思ってたんだが」
「守ってくれたじゃない、二度も」
公園の時も、秋月邸に来た時も、ニィニはこうしてボクを気遣ってくれたわけだ。
「ねぇ、ニィニが撃ってた凄い威力の銃、あれって何なの?」
「これか?」
ニィニが右手から銃を生やす。ガンマンじみた仕草が可笑しい。
「これは護身用のリキッドガンだ。手近な液体を装填して、それを圧縮して撃ち出すんだ。弾が現地調達できるから長期任務に打ってつけ……らしいぜ。ああ、三つ撃てる」
「水鉄砲の強い版ってことか。それってさ、人間だった時はどうしてたの?」
まさか緊急時に猫を抱えて銃撃するというわけにもいくまい。そう思ってボクが聞くと、ニィニは右腕をコキリと鳴らした。すると右腕が二つに割れて銃身がゴトリと床に落ちた。続いて左腕を鳴らすと、こちらからはグリップとシリンダー状の弾倉が出て来た。
「こういう風に取り出せるんだよ。で、こうして組み合わせれば……」
ニィニがそれらを慎重に合体させる。果たして出来上がったのは小ぶりの拳銃だった。
「なかなかのモンだろ?」
ニィニが見せつけて来るそれをボクは勝手に手に取る。思ったよりずっと軽い。
「……これ、ボクにも使えるかな」
そう呟いたボクに、ニィニは意外にも驚いた様子は見せなかった。
「姐さん、やる気だな?」
彼の目には決意の色が窺えた。無論ボクもだ。
「レナを助ける。やっぱり、このままにしてはおけないよ」
「ああ、そうだな。女の子のあんな悲しい顔を見て黙ってるようじゃ、オレとしても男が廃るってもんだ。今まで逃げちまってた分まで、全力で協力させてもらうぜ」
そう言えばニィニは男だった。随分と格好良いことを言ってくれる。
(そう……あんなに悲しい笑顔も無いよ、レナ。あんな風に笑うようになるまでに、君はどれだけ涙を流して、どれだけ孤独に耐えてきたの? 本気の恋だったのに、周りからは子どもの遊びと侮られ、誰にも言えずたったひとりで……未来さえ捨てていいと思うまでに)
悟朗が亡くなっていたなんてボクは一度も聞かされなかった。きっとボクが彼を毛嫌いしていることを察したレナが伏せていたのだ。そればかりではない、レナが悟朗と付き合っていた時、ボクは悟朗の名前すら聞きたくなくて、あろうことかレナを避けていたのだ。
(寂しかっただなんて、とんだ被害妄想だ。中学の頃だってレナは何も変わってなかったじゃないか。主を尊重する忠犬を気取ってそっぽを向いてたのはボクの方だ! つまらない嫉妬心に負けて現実から目を背けて……レナを孤独にしてしまったんだ! ボクは!)
座敷牢でレナに出会って、色々なことの答え合わせがなされた気がする。ボク自身の罪も沢山浮き彫りになった。それを少しでも償えるとすれば、きっと今しか無い。
「とにかくレナを屋敷から連れ出す。すぐにやる。後のことは後で考える」
ボクはジャージの下をジーンズに履き替え、ベルトにリキッドガンを挟んだ。そして金属バットを引っ張り出して構えた。乱闘でも何でもやってやろうじゃないか。
「悟朗の力が弱まってるってレナは言ってた。よくわからないけど、本当ならチャンスだ」
「姐さん、それなんだがな、ガンの弾にひとつこれを使ってみようと思うんだ」
ニィニがそう言って差し出したのは、なんとママ愛用のニンニクオイルだった。こいつ、どうやら台所から未開封のを一瓶くすねて来たらしい。
「オレが飛びついた時、悟朗の奴いきなり苦しみだしたっていうじゃねぇか。もしかしたらあれは、オレの呼気に含まれてたニンニク成分の所為かもしれねぇ。実はこいつはオレの星には無い香辛料でな……研究所の連中もカバーできてねぇ筈だ。試してみる価値はあるぜ」
日頃ニンニクの効いたおかずをたらふく食っていたニィニをボクは思い出す。成程、未知の味覚だったので物珍しかったのか。いつも一緒に居るとわからないが、小さな体に詰め込まれたニンニクの匂いは相当なものだったろう。ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
「いいよ、これでいこう。もし効かなくても、どうせならクサイのをぶち込んでやろう」
ボクはニンニクオイルの封を切り、リキッドガンの弾倉に一瓶まるまる注ぎ込んだ。ちょうど満タン。これでニンニク弾が三つ撃てるわけだ。なかなかゴキゲンじゃないか。
「できるだけの準備はしたよね……ニィニどう思う?」
「正直心許ねぇが……これが精一杯ってとこだろ。あとは覚悟だけだな」
そんなもの、とっくにできている。決戦の仕度は今、整った。
《つづく》
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