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娘がお札を指差す。若者は戸惑って、手元と相手を交互に見やった。
言われてみれば、お札からじんわり感じる清浄の気は、彼女が纏うものと通じている。
娘はふうとため息をついた。
「お前がうちの社の札を持っていたおかげで、話が早うて助かった。それにしても、いつの間に参ったのだ。ああ、このあいだ留守にしておったが、その時か」
「……あなたは一体?」
すると、娘は外見にそぐわぬ達観の笑みを浮かべた。
「わたしはこの村の社に住む、守り神だ。まぁ、神の世界ではひよっ子だが、お前よりずっと年上ぞ。この地を見守るが、わたしの役目だ」
「そ、そうでしたか」
若者はおののき、次いで膝まづいて頭を深く下げた。
「申し訳ございません。庇護される立場もわきまえず、失礼の数々。どうかお許しください」
娘は神妙になった相手にいたずら心を刺激され、哀しげな表情で口元に袖を当てた。
「さて、どうしたものかのぅ。日ごと年ごと村を守ってきたというに、怨霊だ物の怪だと忌み嫌われるとはあんまりではないか。あぁ傷ついた。哀しゅうて淋しゅうて、消えてしまうやもしれぬ。わたしは人を害したものとして語り継がれるのであろうか。それとも永久に忘れ去られるのであろうか……」
わざとらしい演技だが、若者は平伏するばかりである。
「お怒りはごもっとも。存分に罰をお与えください」
生真面目な言葉に、娘は笑いをこらえる。
しかし、畳を見つめる若者にその様子は分からない。
「許せぬとお思いなら、この身を八つ裂きに。ただ、子が先に逝くは親不孝。母と叔父より早く死ぬわけにはいきません。その猶予のみ、お目こぼしいただきたく」
そうきっぱり言い放つ。
娘はさすがに興醒めした。足音もなく歩み寄り、しゃがみ込んで相手を見下ろす。
「お前はつまらぬ男だの」
若者は困惑したが、姿勢はそのまま保った。
「わたしが神に化けた物の怪なら、今の言葉で一巻の終わりぞ。そんなことを口にするでない。人の子など短い命ではないか。ならば、一日でも足掻いてみせるが道理であろう」
あたたかな言葉に若者は顔を上げた。娘は内側から輝きを放ち、やんわり細めた瞳の薄紫が繊細に揺らめき、吸い込まれそうになる。
こうして見ると、神聖な存在であることを疑う余地はない。とくに微笑みはまばゆいばかりだ。
いや、現実離れした雰囲気だからこそ、妖怪だと思い込んだのかもしれない。神が自分の家を訪れるなど、想像するはずがない。
幼い頃から人外を見る彼だが、神を目にしたことは一度もなかった。
若者は視線を落とした。
「愚かなことを言いました」
「軽んじてよい命などひとつとしてないのだ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「はい」
彼の視界には娘の足があった。それがすっと立ち上がって軽やかに舞い、着物の裾が羽衣のように宙を泳いだ。
若者が驚いて視線を上げると、娘が楽しそうにくるくる回り、ぴたりと止まったかと思うと、両腕を広げて笑みを咲かせた。
「よくぞこの地へ来た。わたしはお前たち母子を歓迎するぞ。願わくば、いつまでもここで暮らしてくれんことを」
子供のようにはしゃぐかと思えば、守り神らしい重みのある言葉。ころころと表情を変える娘に、若者は呆気に取られた。
娘は彼を間近から見つめ、ぱっと下がってくすくす笑った。と思えば、近付いて畳へ体を投げ出し、今度は見上げてくる。
若者は、相手の突飛な行動にぎょっとした。観察するような視線に参って、目を逸らす。娘は、機嫌のいい犬がするみたいに、白い足をぱたぱた揺らした。
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