めぐりあい

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めぐりあい

 西空は(だいだい)色に染まり、たなびく雲が陰影を加え、光り輝く太陽は山影へ近づく。村へと続く道は田畑に囲まれ、温もりのある色に彩られている。  そんな中を黙々と進む人間がいた。  少年から青年となる年頃の若者で、農具を左手に、荷物を右肩に掛けている。  濃紺の着物から覗く腕は、大人に比べるとやや細い。しかし畑仕事で鍛えられ、日に焼けて引き締まっていた。  細面の輪郭、眉は気難しげ、口元をきつく引き絞り、鋭い視線で道の先を睨みつける。まるで、武士が周囲を警戒しながら行軍しているようだ。  村が近づくにつれ村人の姿がちらほら見られる。  だが彼がそんな様子なので、言葉を交わす相手はいない。若者は周囲に気を留めず、帰り道を急ぐ。  そのとき、そばの畑から体を起こした中年女性が、彼の背に声をかけた。 「おや、正蔵さんとこの。一人なのかい? 叔父さんはどうした」  気さくなその声を聞き流すことはできず、若者は振り返った。 「村の寄り合いに」 「ああ、そうだったねぇ。お母さんの具合はどうだい?」 「まぁまぁです」 「これ、少ないけど持っていきな。早く良くなるといいねぇ」  相手の女性、しげ代がいくつかの野菜を持たせた。彼は困惑顔で受け取り、おずおずと頭を下げた。 「ありがとうございます」 「何かあったら声かけな」  ひらひらと手を振る彼女にもういちど会釈し、若者はその場を後にした。  よそよそしい村人に比べ、あの女性はさりげなく気遣ってくれる。叔父もいい人だと言っていたし、自分もべつに嫌いではない。  けれど素直に甘えられるほど、心を許してはいなかった。  若者はこの村に来てからさほど日数がたっておらず、どう接するか決めかねている。  あんなふうに気軽に声をかけ、心を砕いて、すっと手助けする。そんなことができるなんて、すごい人だ。  人付き合いの苦手な自分には、とうていできそうにない。  やがて、居候している叔父の家が見えて、若者はわずかに表情を和らげた。  母が待っている。この村へ来てからの疲れが出たらしく、今日は朝食後に床についた。  少しは良くなっただろうか。貰った野菜もあることだし、これで精をつけてもらわなければ。  家の裏に回って農具をしまい、台所に入って野菜を置く。さらに荷物を下ろしたところで、屋内がしんとしていることに気付いた。  草履を脱いで足を拭くのもそこそこに、広間へ上がる。そして奥の間の前に立った。 「母さん」  呼びかけてみるが返事はない。  眠っているならいいが、もし具合を悪くしていたら。彼は襖に手をかけた。 「開けるよ」  断って、静かに開く。閉め切られた奥の間は暗く、敷かれた布団がかろうじて見えるだけ……のはずだった。  しかし寝具の向こうに、ぼんやりと白い人影が座っていた。  彼と同年代の娘で、肌の色は薄く、黒髪が顎のあたりで切り揃えられている。童のような髪型だ。  白い着物に紫の帯を締めており、透けそうにふんわり柔らかく、この世に存在する生地には見えなかった。  彼女の整った顔立ちに見覚えはない。  その目は伏せられ、両腕を前に突き出している。右手が眠る母の顔に、左手が母の胸元にかざされているのを認め、若者は総毛立った。 「おのれ!」  奥の間に踏み込み、やむをえず母の体をまたいで、白い人影を遠ざけようと腕を横払いする。  娘がはっとして目を開き、立ち上がった。  その動作は間に合わず、攻撃が当たるかに見えた。しかし彼の腕は、幻を撫でるように娘をすり抜けた。  若者は布団から下り、一定の距離を取りながら相手を睨みつける。娘は戸惑った様子で退く。  けれど気弱な性格ではないらしく、まっすぐ彼を見つめ返す。その薄紫色の瞳に、若者は疑念を確信に変えた。 「怨霊か物の怪のたぐいか。母の命はやらんぞ。ここから出ていけ!」 「お、怨霊? 物の怪と……」  娘が絶句する。すぐに気を取り直し、彼を視線でじろりと射た。 「どこをどう見れば、わたしを妖怪と判じられる。まったく、失礼にもほどがある。いい目をしていると思うたが、とんだ節穴だな!」  若者は動じず、ひたすら彼女を警戒する。  娘は自分の言葉にふと戸惑い、無防備に考え込む表情をした。若者にとって相手の隙だったが、すり抜ける敵とどう戦えばいいのか分からず、迂闊に飛び込めなかった。  娘が腑に落ちない顔で彼をうかがう。 「お前、わたしが……見えるのか」  若者はぎりっと歯ぎしりした。 「人外など誰が見たいものか! だがこの時ばかりは感謝するぞ。家族に手を出してみろ。どこまでも追いつめて、魂ごと葬り去ってやる」  復讐の鬼と化したような形相だが、娘はひたすら驚きに晒されていた。 「なんと声まで……。信じられぬ」 「これでお前を封じてやる」  若者は懐からお札を取り出す。  娘はきょとんとし、彼が本気だと悟ると、口元に袖を当ててくすくす笑った。 「よせ。妖怪なら気休めていどの効果はあろうが。そもそも、それに込められしは他でもない、わたしの力ではないか」
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