いとをかし

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いとをかし

「見てくださいませ、崇道」 皆が選んでくれた衣を見せびらかすように、涼音は唐衣の袖を翻しながら上機嫌で微笑んだ。その何処か甘えたような素振りは、常の涼音とは違って甚く珍しい。 「女子(おなご)というものは不思議よ。着るもの一つでコロコロとよく化ける」 ちっとも褒められている気のしない涼音は口を尖らせた。 「それは、クロネコ仕様だったあなたも同じこと」 崇道が鬼神であった頃、クロネコに憑依していた鬼神は子供じみたところが多分にあった。その様が可愛らしくもあり、涼音はついつい抱き上げてしまったものだ。 「そう言えば、あいつはどうしたんだ?」 崇道は見当たらない様子に、目を彷徨わせた。クロネコ――二股の妖猫にして、その名を(さく)という。  朔が涼音の傍を離れるのも珍しいことだ。 「朔は皇后様らに大層気に入られたようで……そのまま奥宮に預けて参りました」 『きゃあ、きゃあ』と、黄色い声音で皆に抱きかかえられては、持て囃されていた妖猫の朔は、ご満悦のあまりに酒を飲みすぎ、寝入ってしまったのだ。鬼神の憑依していた頃は、酒に大層強かったが、どうやら朔はそうでもないらしい。畏れ多くも皇后の膝上で微睡む様は稚く、皆を悶えさせていた。 「あいつ……主の危機に何をしている」 「責めないでくださいませね。崇道の元へ行くのに危険など無いと踏んでいたのですよ」 『がはははっ。そこはまだまだ新参者。我こそが一の式だからな』 火車は巨体を揺らして胸を張る。 「火車、あなたにも心配を掛けましたね。礼を言います。良く働いてくれました」 大きな鬼瓦のような顔に抱き付かんばかりに擦り寄る涼音の背後で、殺気を零すのは崇道だった。 『お、お、お姫っ、もう良い!離れろっ。我の身が危ない』 何故か怯える火車に首を傾げていた涼音の足が、突如宙に浮いた。そのまま荷か何かの如く涼音を担ぎ上げたのは崇道である。 「火車、鞍馬の庵に向かえ」 行き先を告げるや、涼音を押し込むかのようにそのまま輿に乗り込んでしまう。 「へっ?つ、務めは良いのですか?」 向かい合わせに座りながらも、涼音は目を瞬いた。 「今日の分は済んだ。明朝には戻るがな」 火車の足であれば刻は幾ばくもかからないのは確かだ。それでも忙しないことには違いない。 「これよりお前を我のものとする」 今度は零れんばかりに目を見開く。その言葉とすることの意味が分からぬほど愚かではない。一息に白い面差しを(あけ)に染め上げ、涼音はその気恥ずかしさに咄嗟に手で顔を覆った。てっせんを開く余裕など皆無。  なのにその手まで奪われ、意地悪そうに覗き込まれては堪らない。 「どうした?不服か?」 不服などある筈が無い。あるとするならば、心の臓を止める気なのかと罵りたいだけだ。もうかつての金色の双眸では無いと言うのに、その眼を直視してはいられない。ただでさえ息のかかるほどの距離。なのにたじろぐ涼音を囲うように更に詰め寄って来る。 「涼音、応えよ」 刹那、そう命じた張本人こそが涼音を黙らせた。 「……んっ」 重ねられた口吸いに、生気どころか御霊を奪われたことは間違いない。言葉通りに、取り込まれてしまうのかもしれないと思うほどに、幾度も吐息を奪われる。縋るように掴んだ袂は、苦しくも離れたくなど無いと握り込んでいた。流行る心の臓の鼓動が絡み合い、溶け込んで、心は一つにあるのだと理解する。 (いと愛おしい……) 切ないほどに溢れ出るこの想いは一体何処から来ると言うのか?熱く潤ませた瞳はそれを訊ねていた。そんな火照った涼音の頬に手を添えて、崇道は不敵に笑んだ。 「こうも呷ったのはお前だ。庵に着けば覚悟せよ」 完全に思考を奪われ、それでも僅かに残った矜持で応えていた。 「望むところです」 そう告げた声が崇道に届いたのかさえ、最早分からなかった。 Fin.                                    
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