男というものは

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「それが吉と出るか凶と出るか……」 不穏な言葉を口にして、額を抑えるのは弓削だ。 「凶???造営守(ぞうえいのかみ)の助役に就けた。後はきっちり修繕して戻るだけだ」 宮殿を造営するに相応しい上質の材を手配する功績を立てたが故に、崇道はその任に預かれた。それも、大臣の言い値通りの予算内に収めてでだ。 「まさか飛騨の大工(こだくみ)に伝手を得るとはな……」 川仁はその手腕を素直に称えた。 「ふっ、それは(すず)よ」 「?」 「ほんにあれは策士だ。女子にしておくのは惜しいほどに……」 杯に口を付けて、崇道は目を細めた。 「採算の取れぬ取引を、取れると思わせれば良いのですよ」 涼音はいとも容易いと言わんばかりの軽口を叩く。 「幻術であるまいし、それが出来れば苦労はせっ……ん」 呆れよりも、苛立ちが先に声を荒げた崇道の口に、涼音は干し杏を放り込んだ。 「左様に算盤や机を睨み付けてばかりいては、九十九神も逃げてしまいますね」 崇道はそれを噛み敷きながら、尚も不平に眉根を寄せた。 「ふふっ、ようやくこちらを向いてくださいましたというのに、怖い、怖い」 春の日差しの様に柔らかに笑む涼音に毒気を抜かれる。 「花を見ることも忘れて散らせてしまっては、桜も咲き甲斐がありませんね」 いつの間にか季節を跨ぎ、桜は葉桜へ向かおうとしている。仕事にかまけてばかりで、花見も出来なかったと不平を零しているのかと理解する。涼音は大臣との(はかりごと)など知らないのだから、それも致し方が無い。 「……これを成し得なければ先へは進めん。すまんが、邪魔をしてくれるな」 例え大臣とのことが無くても、涼音と共に在るには今の己では役不足。崇道こそがそう思えてならなかったのだ。そんな苦い思いに蓋をして、仕事に戻ろうとした崇道の前に、涼音はひらりと船の製図を掲げて見せた。  それは鴻臚館に滞在している渡来人らに教えを乞うて、崇道が興味本位に図面に起こした舟ではなく船。大陸の建築技術はこの国より遥かに先を行く。 「これを手土産に飛騨国(ひだのくに)に取引を持ち掛けてはどうですか?」 飛騨は平地が乏しく、林業で潤う地。だが、それを活かしきれていない。それを活かす術を持たないからだ。 「航路の技術を持たせれば、その名の示す如く飛躍する国となるでしょう」 「航路?」 海に面していない飛騨に航路とは()せなかった。 「山脈を間に跨ぐ為に、飛騨は越中(富山)との結びつきが強い。海に面した越中から船を出せば、材は飛ぶように売れましょうね」 てっせんの切っ先を地図上に進めて、にっこりと笑む。 「国を生かすも殺すも国次第。人も然り。林業を生業とするだけあって、飛騨工(ひだのたくみ)は腕が良いと聞きます。存分にその力を朝廷に示す機会を与えてやれば、それは計り知れない恩を売ることになるのでは?」 舌を巻いた崇道はすぐさま火車に乗り、飛騨へと向かった。  飛騨守(ひだのかみ)に話を取り付け、最新技術と言える船の製図を取引材料に、飛騨工らの協力を仰いだのだった。  残念ながら船を造る猶予までは無く、此度は飛騨の木材を使うには至らなかったが、当初予定としていた大工(こだくみ)らへの報酬を大きく削れた為に、良い資材を手にすることが出来たのだ。けれどそれ以上に、飛騨工と縁を結べたことは、きっとこの先、遥かに大きな意味を為してくる。 「でかしたぞ、涼っ!!!お前のお陰だ」 「あなた様が手掛けるのであれば尚のこと、良いものを残したいですよね」 南都は禅師親王と呼ばれた早良親王の縁の地だ。涼音がその意を酌んでいたことに、驚かされる。 (これが心眼か……。これまでも、これからも、我はこの娘に心震え続けるのだろうな) 触れたいと思わず伸ばしかけた手を、崇道は何とか堪えていた。
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