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我が名は
ただ事でない火車の在り様が、朝庭に騒ぎを呼んだ。
「ひっ!あれは物の怪ぞっ」
「た、祟り神に違いない。に、逃げるのだっ!」
逃げ惑う人の最中にあって崇道は、それが火車であると知る。いつにない様子に、不安を呷られた。
(涼音はどうした?)
人の流れに反して、足を速めて駆け付けた。人にぶつかりながらも、ようやくそこへ辿り着き、地に伏せた涼音の姿に目を疑う。
「す、涼っ!!!」
思い起こした状況はかつてのもの。青白い頬に閉じたままの眼。微かな脈拍は、残された生気を惜しんでいることを示している。何度見ても心の臓を鷲掴まれた心地になる。それでも、先の経験から僅かながらも冷静であれた。
「御霊だけで何処へ向かった?」
抜け殻の涼音の身体を抱え上げ、攻め立てるようにして火車を睨み据えた。殺気に似た感情を滲ませる崇道に、憤慨していた筈の火車は一気に怖気づいてしまう。
『……う、うぬ』
言い淀む火車に焦れ、崇道は声を荒げた。
「何処へ行ったと聞いているっ!」
『あれは……洞だった』
その言葉に血の気が引いた。
「う、洞だと……?」
それは神世でも耳にしたことはある。
神域でも無く、人域でもないそこは永久の無とされる場所。戻る術どころか、向かう術すら知らない。見たことがある訳でもないが、それがそうだと分かるのは、どの闇よりも黒い深淵を覗かせるからだと言われている。
「ば、馬鹿な……何故?」
『刹那のことだ。分からぬが洞に吞まれた』
火車の言をにわかには信じられない心持で、崇道は問うように乞う。
「涼?う、嘘であろう?早う目を覚ませ、我を謀る気か!?」
冷えた頬に手を当て、反応を待つが返ってくる気配は無い。その内も無情に生気は身体から零れ落ちてゆく。
「す、涼っ!涼っ!」
叫んでみたところで、それは虚しく響くばかり。
「目覚めよ、涼音っ!!!」
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