実を結ぶ

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実を結ぶ

 ある日の梅雨の晴れ間、若き官人陰陽師の刀岐川仁(てらきかわひと)は、とある菩提寺に花を供えに来ていた。今日は亡き友、橘藤二(たちばなのふじ)の命日だった。 「あら、刀岐様では?」 墓石の前で手を合わせていた川仁に声を掛けたのは、藤二の元許嫁であった菅原(すがわら)次官の娘で、名を阿子(あこ)と呼んだ。阿子は供とする従者に四阿(あずまや)で待つよう言付け、花を携えた女房と二人してこちらにやってくる。 「藤二様に会いにいらして下さったのですね。ありがとうございます」 久しぶりに見た面差しは相変わらずの色白で、大きな瞳が無垢な子供のようであるのに、キリリとした口調が妙齢の女人に思わせるのだから、女とは分からぬものだと川仁に思わせた。 「いや、それは阿子殿こそがだ。俺からも藤二に代わって礼を言う」 藤二は他の女子(おなご)に懸想し、阿子との婚儀を反故にした男だからだ。 阿子は藤二の眠る橘家代々の墓を見て、少し(わび)しそうに呟いた。 「ふふ。藤二様のように……とまでは。と、ここは強がっておきましょう」 本気で好いた男であれば、墓など参る気にはなれなかったに違いない。と、阿子は言葉を濁して伝えていた。それをはっきりと言わない辺りが彼女の賢しさと奥ゆかしさを表している。  藤二という男は、一心に、惚れた女の為に文字通り身を焦がした。そしてそれほどに、想えた相手は人ならざる(もの)だった。 「藤二様は、私にとって兄様のような方でありましたのでね」 「もう、阿子様は人が好い。私は恨み言を言いに参った次第ですよ」 昔を懐かしむように目尻を下げる阿子に、口を挟んだのが傍に控えていた女房である。阿子よりは三つ、四つは上だろう。 「恨み言?」 「不義理を果たされたばかりか、あのように不浄な死を遂げられて……」 「は、波津(はつ)!」 阿子は諫めようと、慌てて波津と呼ばれる女房の袖を引いた。 「いいえ、言わせてください。お陰で奥方様にまで妖に寝取られた娘などと……」 「やめてっ!」 柳眉を逆立て叫ぶ阿子に、ぐっと、堪えるように波津は口を閉じた。 「まったく……。お義母様は期待が大きかった分だけ落胆も大きかったのね」 藤二と阿子の縁談は本人らの産まれる前から決められていた政略婚。そして阿子は橘家に嫁ぐために養女として迎えられた娘でもあった。奥方は阿子の実の母の叔母に当たる。 「詮無いことを嘆いたところで、詮無いことよ」 (ああ、この顔だ……) 軽やかに笑う阿子に、やはりいじらしい娘だと川仁の心に染み渡る。藤二の危機に奔走し、川仁に助けを乞いに来た時に見せた顔を思い起こした。あの時から、阿子は川仁の心に密かに棲んでいたのだ。 (縁というのは何処に転がっているか分からぬものだな……) 「刀岐では不服だろうか?」 刀岐と橘では格式こそ橘の方が上だが、財は並ぶところだろう。菅原家とでは全てにおいて勝るとも劣らない家柄。とは言え、川仁は三男坊。阿子の家が是とするかは微妙なところ。 「え?」 キョトンと首を傾げる阿子を見て、川仁は根本的なことに気づかされる。 「あなたに認められるにはどうすれば良いのだろうか?」 「え?な、何のお話ですか?」 困惑する阿子の後ろ手では、逸早く察した女房の波津が目を瞠った。次には拳をぐっと歓喜に奮い立たせている。 「あなたを貰い受けたい。俺では駄目か?」 何という直球。駆け引きなど皆無。 「っ!!!」 黒目勝ちの愛らしい瞳が更に見開かれて、阿子は声を失った。 「た、たわ……」 『戯れですか?』と、問い掛けようとした口は、川仁の真摯な目に射抜かれ半ばで閉じられる。 (この方は左様な不実な方では無かったわね……) 温厚な藤二とはまるで違う性情。恐ろしいほどに鋭い眼差しは、誠実の裏返しだと、阿子は藤二の口からも聞かされ、知っていた。 「良いのですか?私は何ら取り柄のない娘ですよ?」 「情に篤い娘だと知っている。人を見抜く良き目を持つ方だとも。そして、そなたは何よりお可愛らしい。まだまだあるが、まだ聞いておきたいか?俺は酷く口下手なのだが……」 阿子の白い顔が真っ赤に染まる。 「い、いいえ。もう、それ以上はっ!!!」 ブンブンと激しく顔を横に振って川仁の口を噤ませた。  普段、寡黙で弁の立たない者から出る言葉が、かように破壊力を持つことを阿子は初めて知った。心の臓が飛び出すのではないかと、急いて鳴り止まない。 「み、三日……阿子に……文をくださりませ」 火照って止まない顔を両の手で覆いながら、阿子は消え入りそうな声で川仁に告げた。 「分った。必ず届ける」 川仁は武人らしく、きっぱりと言い切るや背を向けて立ち去っていく。阿子はその背をまるで物の怪にでもつまされた様に惚けて見送っていた。
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