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秘密
電車を降りるとそこは無人の駅だった。
萎びた小さな駅舎の前には一応ロータリーらしきものもあるけど車の往来はまったくなく、ぽつんと一台のタクシーが停まっているだけだ。駅前商店街もかつてはあったのだろうが、その殆どは看板を下ろしシャッター通りと化している。
タクシーに歩み寄ると運転手はシートを倒して昼寝をしていた。気持ちよさそうに眠るその顔は結構なご高齢に見える。大丈夫だろうか。世間を騒がせたブレーキ踏み間違いのニュースを思い出す。でも他に足となりそうな乗り物も見当たらない。しかたなく窓を叩く。数回目でようやく起きた。
後部ドアが開いたので乗り込むと、
「はあ、すみませんね。ちょいと休憩してたもんで。えっと、どちらまで?」
○○村までと私が告げると、運転手はミラー越しに丸めた目をこちらに向けた。
「あんなところまで、何をしに?」
「ちょっと所用で」
「はあ、そうですか。でも、遠いですよ」
「構いません。行って下さい」
わかりましたと言って彼は車を走らせた。
病院から連絡が入ったのは三日前のことだ。ヒロユキが事故に遭って入院したと。慌てて駆けつけると、体中に包帯を巻かれた痛々しい姿の彼と再会した。その殆どは擦り傷程度だったけど、たった一つ障害が残った。彼は失明していた。頭を打った際に視神経を損傷したらしい。
どうしてこんなことになったのか問い詰めたが、彼は一向に答えようとはしなかった。ただ、ある場所に行ってくれと言った。そこに荷物を置いてきてしまったのだと。それを取ってきてほしいと。
こうして仕方なく私はここにいる。先ほどから景色は単調になっていた。田園風景から雑木林へ。今じゃ窓外は鬱蒼とした木々が流れ行くばかりで、それ以外のものは何も見えない。急峻な坂道はくねくねと曲がりながら延々と続く。
やがて辺りの木々がまばらになってきたと思ったら開けた場所に出た。山間にある小さな村だ。ぽつんぽつんと茅葺屋根が見える。
「はい、着きましたよ」
サイドブレーキを引きながら運転手が言った。少し待つように断りを入れてから車を降りた。
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