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数メートル先に作業着姿の男性がいた。50代といったところか。彼に声をかけると村長のもとへ案内された。それは腰の曲がった老婆だった。
挨拶もそこそこに来意を告げた。
「ああ、はいはい。あの方の」
訳知り顔で屋敷の奥に消えた村長は、大き目のリュックサックを手に戻ってきた。
「これ一つですけど、間違いないですか?」
ヒロユキからはそう聞いていた。中味を確かめるかと訊かれたが、そこまで彼は言っていなかったのでそのまま受け取った。
お礼を言って村長の屋敷を後にした。タクシーを降りた場所まで戻ると車輌がなかった。え?と思い辺りを見渡す。来たときに声をかけた男性がいた。
「すみません。タクシーがどこへ行ったのか、知りませんか?」
振り返った彼はあっさりと、
「ああ、帰ったよ」
「帰った?どうして」
「そろそろ日が暮れるでしょ。暗くなる前にあの山道を下りたいんだって。あの運転手も結構な歳だからね」
まあ確かに、夜にあの道は私だって遠慮したい。でもタクシーは客を置いて勝手に帰っちゃだめだろう。プロなんだから。
「料金は、私が立て替えておいたから」
彼はにっこり笑う。暗に請求しているのだ。なんだか納得いかないが言われた金額を渡すしかない。
それから再び村長宅を訪れた。ことのいきさつを話し、タクシーを呼んでもらおうと思ったのだ。ところが、
「この時間じゃタクシーはもう来んよ。一晩泊まって、明日の朝一番に帰ったほうがええんじゃないですか」
泊まる?こんなところに?冗談じゃない。と、思ったが他に選択肢はない。まさか歩いて帰るわけにもいかない。
「泊まれる場所、あるんですか?」
「ああ、ちょうどええところがあるから、案内して差し上げましょう」
老婆は雪駄を履くと、ついてきなさいと言って歩き出した。
旅館とまではいかなくても民宿だとか、親切な人の広いお家だとか、せめて空き家くらいだろうかと思っていたが、案内されたのはお堂のような建物だった。
村長は観音開きの扉を開けながら、
「ここには今は誰もおらんから。ほれ、あんたの彼氏さんも、ここに泊まったんだよ」
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