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「本当にね。この道は危ないんですよ。先日も、村の外から来た人がこの道でハンドル操作を誤って、車が路肩踏み外して斜面を滑り落ちゃったんですよ。まあ命に別状はなかったようだからよかったですけどねぇ」
それって、もしかしてヒロユキのことだろうか。どこでどんな事故に遭ったのか彼は言おうとしなかったから、てっきりもらい事故でもしたのだろうと思っていたけど、まさかこんなところでそんなヘマをするなんて。
彼は自分の運転技術に自身を持っていた。それは度々助手席に座った私も認めるところだ。確かにこの道は悪路だが、それならより慎重になるのが彼の性格だ。それなのに路肩を踏み外すようなことになったのは、何かアクシデントでもあったのか、それとも冷静さを失うほどに急いでいたのか。荷物を忘れたのもそのせいだろうか。
「最近ほら、高齢者ドライバーの問題とかあるでしょ」
考えに耽っていた私はその台詞で現実に戻った。
「私もいい歳だしね、そろそろ免許の返納……」
突然運転手は黙り込んだ。しばらく待っても何もしゃべろうとしない。
タクシーの速度が徐々に上がり始めた。
「あのちょっと、運転手さん?」
身を乗り出して横顔を覗き込んだ。彼は白目をむき、口から泡を吹いていた。
「やだうそ!」
大丈夫ですかと言って肩を揺すると、彼の体はぐらりと傾きハンドルに突っ伏した。車の速度が益々上がる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
ドアを開けて飛び降りることなんてできそうもない。それなら運転手をどかして私が代わりに、と思うけど気を失った人間の体は想像以上に重い。
そうこうしている間に目の前に巨木が迫ってきた。とにかくハンドルだけでも切ろうとしたけど運転手が邪魔で思うようにいかない。
私は覚悟を決め、後部座席で身を竦めた。
目覚めると白い天井が見えた。辺りは驚くほど静かだ。
誰かが私の手を握っていた。振り向くとヒロユキだった。
まだ頭がぼんやりする。なんのつもりなのか、彼は私の掌に文字を書き込んでいく。
〈すまない おれのためにこんなことになって〉
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