11人が本棚に入れています
本棚に追加
「こんにちは」
カフェについたタヌキは挨拶をするなり、人間の正面のイスに座った。
人間がおどろいた顔をしている。人間を化かすのはいつなんどきでも心地よいものだ。しかし、今回はキツネとの勝ち負けがかかっているのでさっさと本題に入ることにする。
「こんなところでなにしてるの」
ストレートにタヌキが聞く。
しかし、人間はうつむいたままでなにも答えない。
極度の恥ずかしがり屋なのだろうか。そういえばさっき友人が来たときも言葉を発していなかったような気がする。
「おれはこの近くの会社に勤めているんだ。きみは?」
質問をつづける。だが、人間は口をぱくぱくさせ、声を出そうとしない。
タヌキは人間への変身が完璧ではないのかと疑った。気が抜けたときたまにあるのだ。スーツからしっぽがはみ出ていたのに気づいたときの、情けなさといったらこれ以上ない。
「おれ、どこか変かい」
恐る恐る聞いてみる。
すると、人間ははっきりと首を横に振った。意思の表示はできるらしい。
「見たところきみは会社員のようだが、この近くで働いているのかい」
再度たずねてみる。人間は困ったような顔をしてなにも答えなかった。
「ふむう」
タヌキはすっかり困り果ててしまった。会話が成り立たないのではだましようがない。最近の若者はコミュニケーションが苦手だと聞く。しかし、ここまでとは思わなかった。
ちらりとキツネのほうを見ると、早く帰って来いと手招きしている。タヌキと人間のやり取りはすべて聞こえているのだ。それを踏まえて、もう脈はないと判断したのだろう。
「あの」
タヌキがちょっと声をかけただけで、人間はますますうつむき、背中を丸めてしまう。取りつく島もないとはこのことだ。ここから展開を望めるような状況ではない。
タヌキとしては不本意だが、しぶしぶ帰ることにした。
「じゃあ、おれはこれで」
こうタヌキが話しかけても人間はなにも口にしない。こんな状態ではあきらめるほかない。
「あ、変な男にだまされないようにね」
せめてキツネへの嫌がらせをしてやろうとつけ加えた。人間が小さくうなずく。キツネがルール違反だと遠くで憤慨しているが、そんなルール聞いたことがない。素知らぬ顔でタヌキはカフェをあとにした。
最初のコメントを投稿しよう!