後ろの影

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「モモカちゃんなんて嫌い!」 言われて、一人ぼっちになってしまった。 一言を放って、階段を下りていく後ろ姿を私は唇をかみしめて見つめる。 絶対、私は悪くない。 私は大きく息を吐き、しゃがんでランドセルから本を取り出す。 本当だったら、ナナコと一緒に読もうと思っていた本。 赤い表紙にぽたりと滴が落ち、慌ててそれを袖で拭う。 そして、自分の顔も。 「あーもう。」 わざと大きく声を出して、足を投げだす。 デニムスカートから覗いた膝小僧に葉っぱの影が映る。 石段の下を、小学生が次から次へと通り過ぎる。 放課後、ナナコと私はこの神社の階段の下で待ち合わせをして、夕暮れ時になるまで時間を過ごす。 階段の上からは、下を通るみんなのことはよく見えるが、下を通る人たちは私たちに気が付かない。 声を上げれば、ちらりとこちらを見る人はいても、声を潜めていたら気が付かれることはなくて、私たちの秘密のお気に入りの場所だった。 神社は大きくもないが、小さくもなく、社務所にはいつも人がいるが、 私たちも挨拶をするぐらいで、階段の一番上の段で寄り添って話す私たちに特別話しかけてくることもなく、安心して話すことができた。 南に面した階段は、明るく日当たりもいい。 私たちは、ここで本を読んだり学校ではできない話をして過ごす。 「ねえ、その本、面白い?」 全然頭に入ってこないまま、 ぼんやりとページをめくっていた私の頭上から声が降ってきた。 見上げると知らない女の子が立っていた。 「え?」 「その本。何読んでるの?」 女の子は長い髪を後ろで高く束ねて、こちらをのぞき込んでいる。 つり目勝ちの大きな目は勝気な印象を受ける。 見たことのない子だな… 「『サニーサイド』っていう本だよ。知ってる?」 手に持っていた本を閉じて、表紙が見えるようにする。 「知らない。」 一言、切り捨てるように言う。 「面白いの?」心底興味なさそうな声で聞く。 「うん…」 なんだろう、この子。 年齢は私と同じぐらいだけど…こんな子学校にいたかな? 「ふうん。」けれど、やはり興味はなさそうで、それ以上聞いてこない。 「ねえ。この階段の秘密、知ってる?」 「え?秘密?」 秘密という言葉に私は弱い。内緒だよ、と言われるとそれだけでワクワクする。ナナコと仲が良くなったのも、「学校の秘密知ってる?」と話しかけられたことがきっかけだった。 女の子はにんまりと口角をあげて、隣に腰を下ろした。 私の左耳に顔を寄せて、ささやく。 「あのね、この階段、何回数えても段数が変わるの。」 彼女からは甘い花のような匂いがした。微かなその匂いを私はどこかで嗅いだような気がしたけれど、思い出せない。 「えー…何それ。」 拍子抜けするようなその内容に私はあからさまにがっかりした表情になる。 それを見て、むっとした顔をする。 「本当なんだから。嘘だと思うなら一緒に数えてみようよ。」 「いや、そういうことじゃなくて…」 興味がない、と言おうとする前に彼女の手が私の左手を掴んで立ち上がる。 その手は温かく、優しく気持ちがいいほどの柔らかさだった。 立ち上がり、そのまま階段を駆け下りる。 そもそも大きな階段ではない。あっという間に下までたどり着く。 「いい?」 踵を返して、今度は私の右手を握る。 私を見つめるその瞳は、キラキラと輝いて見える。 俯いて足元を見ると、くすんだ水色の革の靴が見える。 私の何の変哲もない白いスニーカーとは違う、その可愛さに足がすくむ。 「1…」彼女は言って、右足を一歩踏み出す。 ほら、というように私の手を引く。 つられて階段を上っていく。 「2…3…」 手を繋ぎながら数えていく。 「30」 上までいくと、ちょうど切りがよく30だった。 ほら、これで終わり…と彼女を見ようとすると、彼女はまた踵を返し、私の左手をとって駆け下りていく。 「はい、次いくね。さっきは30だったでしょ。」 そう言って、また1から数え始める。 「…27、28、29!!!」 一番上までいくと、「ほら!!!」と彼女は満面の笑顔で私を見た。 「ほら、さっきは30だったでしょ。なのに、今は29なの!ね?」と 得意げに私の手をとって、右に左に動かして揺らす。 「えー。数え間違えただけだよー。」 それでも私は、たいして興味も持てずに答える。 「違うの違うの。嘘だと思うなら、もう一回。」 そう言って、また階段を駆け下りていく。 「…28、29、30、31!ほら!ほら!」 彼女はどんどん笑顔が深まる。その様子に段々こちらも気持ちが乗ってきてしまう。 「えーそんなことないよ。また数え間違えたんだよ。」 「違うの。本当に毎回数が違うんだよ。何段か分からないの!」 私たちは二人手を取り合い、キャッキャと笑いながら階段を駆け下りていく。 「じゃあ、今度は私が数えてみるね。」 そう言って、足を揃えて登っていく。 「1、2…」 時々、神社に参拝する人とすれ違ったりしながら私たちは、何度も何度も階段を上り下りした。また始めの30になったり、29になったり27になったりした。一度として、続けて同じ数にはならず、毎回変わった。 「あー疲れた!!!」 何往復したか分からないところで、私はついに疲れて、階段にしゃがみこんだ。 持ってきた水筒を取り出して、喉を潤す。 彼女にも勧めようと、水筒を差し出し、ふと彼女の名前をまだ聞いていないことに気が付いた。 「ねえ…」水筒を受け取り、口をつけようとした彼女に声をかける。彼女の視線がこちらを向いたその時、 「モモカちゃん!」階段の下から呼ばれた。 見ると、さっき喧嘩別れをしたナナコが立っている。 ナナコは俯きながら階段を駆け上がってくる。 私たちのところまで来ると、顔をさっとあげ 「さっきはごめん!」と一息に言った。 大きな瞳に涙を浮かべている。 さっきまで泣いていたのか、目じりが赤い。 「…私も…ごめん。」 見ていられなくて、顔をそらして呟く。 私は泣いていたわけではなく、隣にいる女の子と笑っていたことに罪悪感を感じてしまう。 「モモカちゃんがいないとつまらなくて…」 そう言って、ナナコが隣に腰を下ろそうとする。 私ははっとして、ナナコを見る。 ナナコはそれには気が付かず、さっと座る。 さっきまで女の子がいたはずの、私の隣に。 ナナコが満面の笑顔でこちらを見ている。 夕暮れのオレンジの陽が顔に当たり、目じりに浮かんだ水滴を キラキラと輝かせている。 私は、もう一度はっとして辺りを見回す。 後ろには古い鳥居があり、先には社務所と境内が見える。 そのどこにも、彼女の姿は見当たらない。 立ち上がって、背伸びして境内の奥を見ようとする。 「モモカちゃん…どうしたの?」 ナナコが不安げに尋ねる。 「え。いや、えーっと、私、さっきまで女の子と遊んでたんだけど…」 「え?」 小さな薄い眉毛をそっと寄せて、少し大人びた表情をするナナコ。 「モモカちゃん、一人でいたんじゃないの?」 「いや、ナナコが来た時も隣に座ってたでしょ?」 「えー…。」 「ポニーテールの女の子。」 「えー…。」 二人の間を不思議な沈黙が流れる。 お互いを見つめる視線がぶつかる。 「モモカちゃん…一人で座ってたと思う…よ?」 心配そうに、ナナコが私の顔を見つめる。 けれども、二人の他には誰もいなくて、神社も階段の下もいつの間にか静かだった。 私たちは、それから、手を繋いで家へと帰っていった。 帰り道、私はナナコが消えないか不安で、その手をぎゅっと握って帰った。 ナナコはなんにも言わずに、手を握り返してくれた。
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