声なき号哭

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「あ、はは……うそでしょ……」  乾ききって震えた笑声が、春香の口から漏れた。見開いた目にいつもの眩い輝きはなく、ただただ目の前の光景に驚愕しているように見えた。  否、それは明確な絶望。  私に対する、憎しみの感情さえ窺えた。 「……」 「お、見られちまったか……」  春香の想いなど知らない奏多は、呑気に照れくさそうに頭を掻く。その瞬間に、春香は脱兎のごとくその場から駆け出した。彼女が落としたであろう鞄さえその場に放って。 「あー……後で事情を説明しに――」  未だくっついたままの奏多を思い切り突き飛ばし、私はスケッチブックが入った鞄を乱暴に掴み取って駆け出した。背後で奏多が叫んでいるが、私の耳には入らない。  なぜなら、私に天罰を下すような雷鳴が凄まじい稲妻を放って轟いたからだ。  かろうじて視線の先に捉えた春香は、髪を振り乱しながら外へと飛び出していく。急に降り出した豪雨など気にする素振りもなく、彼女は傘も差さずにそのまま雨に打たれた。  待って。  待ってよ、春香……!  これほど、自分の声が出ないことを恨んだ時はない。普通に喋ることができたのなら、すぐに誤解を解くことができるのに。  彼女への想いを、口にすることができたのに。  幸い、私の方が足は速かった。無我夢中で豪雨の中を走っていく春香の手を、私は何とか捕らえたのだ。 「っ……触んないで!」  乾いた音が響いて、右手に鈍い痛みが走る。一瞬熱を帯びたが、それも雨によって瞬時に冷やされる。  変に熱く脈打っていたのは、胸の辺りだけだった。
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