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気付けば故郷を望む窓辺には何人もの人が集まっていた。
私が海に別れを告げに行ったように、この人たちも同じく何かを惜しんでその身の内に色んなものを棲まわせたのだろう。
旅立ちの前に海で貝に耳を当て、水に身を浸し、青い色を見つめ続けた人々。
あるいは川に行き湖に行き、その流れと冷たさを抱いた人々。家の庭の花と共にあった人々。地面を掘って土の感触を確かめていた人々。
あるいは――あるいは。
いくつもの場所があの星にはあった。それぞれがその身に棲まわせたあの星の欠片たちが皆の中で響きあっている。
中には見覚えのある顔もあるようだった。小さな貝を握りしめ、ひたとあの星を見つめている。いつか私に貝から波の音がすると教えてくれた人かもしれない。――それとももっと昔に、初めてその話を聞かせてくれた人だろうか。
「もうずっと前から、俺たちは知っていたはずだった」
故郷はいずれ壊れてしまうこと、おそらく一生はそこに住めないだろうこと。別れを告げねばならない星だと、私たちはずっと知っていた。
「悲しくはあり寂しくもある。けれどパニックを起こすことはなかった。ただ静かに哀しいだけだ」
そして教えられた新しい星への希望。過剰な期待は抱きすぎないよう――という注意つきではあったけれど。
何十年もかけて馴染むよう促された諦めはとても静かに誰の心にも染み込んでいた。
「俺は大丈夫だったんです」
男性はそう言うと、音が一層強くなっていくのであろう心臓のあたりをなだめるように押さえた。
「……私もでした」
知らず、私も自身の胸を押さえていた。
「だけど、別れを告げに行ったんです。山に、景色に」
風に空に海に石に。もう会えない――数多のものたちに。
「もう、帰れないんですね」
言葉にしてみる。離れて、もう決して戻れない。失われるあの巨大な水たまり。足元にたしかにあった私たちの大地。
海があぶくを立てている。こぽこぽと、あの星を求めるようにして。生きたもの死んだものが、プランクトンが砂の粒たちが、ざわざわと波の中でさざめいている。
とん、という音に自分の手が窓に触れたことに気付いた。……恋しいのか。
いつの間にだろう、あの星を見つめる私の目は食い入るものになっていた。手に力が入って拳となる。
……あの日の海の音が耳に蘇って離れない。
「帰れない」
男性も言って青い星を見据えた。
逆巻くような強い風の音がする。陸のものたちの音。空より落つるいくつもの水が葉の上で跳ねる。大地に染み込みあるいは溜まり、私の抱える海と寄せあい波を生んで飛沫を上げる。強い響きは轟きとなって私たちを揺るがす。
――星の声だ。
男性は泣いていた。気付けば私の目からも涙が零れていた。
内より水が零れて、あの海に還ろうともがくようであった。
消え去るよりも共に行くことを選んだ海たちが、それでも還りたいと暴れている。失われることを悲しみ、荒れ狂う。二度と還れぬ故郷を求めて人々の中で強い音を奏でている。
それは叫びに他ならない。
私たちは為すすべなく、途方もない音の渦の中立ち尽くしていた。
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