2020年(令和2年)

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3/21(土) ✳内容重たいかもです。 楽しい気分で一日を終わりたい方はスル-をオススメ。 今日はおばあちゃんの7回忌でございました。 なんと旦那のおばあちゃんの法事と日にちがかぶるという💦 旦那もお義母さんも当たり前のように、実家の法事に出させてくれて、ありがとう。 おばあちゃんが亡くなってもう7年。早いなあ。 92歳で亡くなったおばあちゃんですが 80歳くらいの頃に、ひょんなことから半身不随になり、10年間ベッドで寝たり起きたりな生活でした。 その間、きっと「楽しいこと」と「つらいこと」なら、圧倒的につらいことの方が多かったんじゃないかと思う。 さみしかったり、悲しかったりしたと思う。 だから、いつも「おばあちゃんがこれ以上は辛い思いをしませんように。最後は楽に安らかに旅立ってほしい」と願っていました。 でもそれは、どちらかと言うと、おばあちゃんのためと言うよりは私のために。 おばあちゃんのしんどい姿を見るのは私がつらかったから。 ですが、とうとうやってきたその時、おばあちゃんは苦しそうだった。 今まで見た中で一番辛そうだった。 体中で呼吸をしていて、 看護ノートに「助けてください」と言った、って書いてあって。 死ぬときってこんなに苦しいんだ。 人間って、こんなに苦しそうでもなかなか死ねないんだ。 と思った。 おばあちゃん、私、人が死んでいく姿を見るのが怖くて、なにもできないでごめん。 腰さすったり、手を握ったりしていてほしかったよね。 最後まで不甲斐ない孫でほんとうにほんとうにごめん。 多分、おばあちゃんの「死」を見てから、私は自分の「死」と「生」について、考えることが増えたんだと思う。 やっぱり「死ぬこと」は怖くて。 考えてこわくなる時もあるけど、 その反面。 美味しいものを食べた時。 寒い日の朝のとろけるような毛布の感触と暖かさ。 お風呂につかった時。 私は体があることを幸せに思う。 めんどいことも、嫌なこともたまにはあるけど、大抵のことは「生きている」ことに付随する瑣末な出来事、みたいに思うようになりました。 体験のひとつ、といいましょうか。 まあ、嫌なことにぶち当たった時はもちろん嫌な気分になりますし、瑣末なことだと思えるまでに1~2日かかりますが。 おばあちゃんの死によって、私は少しだけ、成長させてもらったように感じています。 さあ、明日も心底めんどいことが1つ待ち構えています。 でも、死ぬことに比べたら、ほんと「屁でもない」。 おばあちゃんの7回忌にあたり、懺悔と追悼の意をこめて、今日の日記といたします。
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