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海。
夜の海。
照り付ける空の神は沈み、白い亡霊が夜空に上る。その時こそが、我々の食事の時間だった。
浜辺には数々の魚が打ち上げられていた。波に攫われ、浜辺に打ち上げられ、呼吸ができずに死に絶えた、哀れな魚たち。それこそが我々の食べ物だった。
海は命に満ち溢れている。魚が魚を喰らい、我々のような動きの鈍い種族に、生き延びる術などない。しかし、陸の上なら話が別だ。
我々は器用に後ろのヒレを動かし、水に湿った浜辺を這うようにして移動した。通常、魚というのは、陸に打ち上げられたらおしまいだ。哀れにびちびちと跳ね、息絶えるのを待つしかない。しかし我々は、波のタイミング見計らうと、自ら望んで地上に躍り出る。
いつから我々がこのような姿になったのかはわからない。我々の種族は、魚としては醜悪な外見をしていた。
後ろのヒレのあたりには、腫瘍のような突起物が突き出ていた。父も祖父も、先祖もこのような突起物を持っていたのだと言う。実際、それが海中で役に立つ場面は皆無だった。この突起物のせいで、我々の体は、いつも海の中で後方に傾いていた。
これが役に立つのは、海から出たときだけだった。我々はこれを引っかけるように、引きずるように、這うようにして浜辺を移動した。役に立つときもあったが、そうではないときもあった。
海中とは違い、陸の上では体が重すぎるのだ。空気は我々の肌を刺すように侵食し、内臓を潰すように圧迫した。陸は嫌いだった。私はいつも海に戻りたかった。
昼は海中でじっと隠れて身を潜めて過ごし。夜になると砂浜に上がり、打ち上げられた魚の死体を喰らって生きる。それが私の生活の全てだった。
浜辺の魚を喰らうと、必ず砂が口の中に入った。砂は消化できる代物ではない。私は一生懸命砂だけ吐き出そうとするのだが、吐き出そうとするたびに、どうしても一緒に口から餌が出てきてしまう。
餌を口に含み、砂を吐き出そうとし、また吐き、口に含み、吐き……を繰り返し、やっとのことで私は胃に食べ物をしまい込むができるのだった。食事に満腹感や幸福感などなかった。あるのは飢餓という義務感だけだった。
浜辺に打ち上げられた魚は海の同胞だった。私自身と似たような見た目の亡骸を喰らうたびに、私の胃は圧迫された。喰わねばならぬ。喰わねば生きることが出来ぬ。陸上での動きづらさ。同胞を喰らう罪悪感。食事を取ると更に体が重くなる。胃の圧迫感と不快感。陸と食事は嫌いだった。
空気が私の体をなぞると、途端にぴりぴりと肌を刺した。私は海が恋しくて、びくりと浜辺の上で寝返りを打った。体は湿った。でもそうすると、今度は腹の部分がどんどんと乾いて、ひび割れるように痛くなってくるのだ。
海は叩きつけるように我々を運んだ。容赦なく浜辺に打ち上げ、まだ食事も済んでいないのに、あっという間に我々を海のほうへと引きずり込んでいく。
我々はびくりと動いて砂浜を移動した。そのほかの時間は、微動だにせずに過ごした。銀と黒の目で、砂と海を見て過ごした。浜辺には我々のほかに、誰もいなかった。自分の腕を見ていると、ゆっくりと透明な体液が流動しているのが見えた。
私の目には遠くのものが良く見えなかった。だから、遠くの空には黒い中に、ぼんやりと白い亡霊が見える、それが夜なのだということしかわからなかった。それは昼の刺すような灼熱の神とは違った。白い亡霊は、我々の守護神だった。
そうしてある日、私は二度と海に戻ることができなくなった。
◆
恐らく私と言う個体が初めてだろう。それはきっと偶然だったのだ。
砂浜だけが永遠続いているような陸上にでも、ちょっとしたくぼみだったり、岩場と岩場が重なっているところがある。運悪く私は波にさらわれ、そこにはまり込んでしまったのだ。
いつも背後にあった海がない。私はパニックになって、醜くずるずると、びちびちと、岩場を動き回った。しかし私は海に戻ることはできなかった。
目の前には、同様に流されてきて、死に絶えた魚の体があった。私は義務感から、死にたての彼を自分の胃に押し込んだ。腹の中でびくり、と彼が動いた気がしたが恐らく気のせいだろう。
私は海に戻ることはできなかった。どうしても高い岩を乗り越えることができないのだ。海の中でなら、このぐらいの障害物はどうにでもなるのだが、ここは陸の上だった。砂と重力が、私の体を押しつぶそうとしていた。
どうにかしなければならない。空の白い亡霊が去ろうとしている。そうしたら、あの昼の空の神がやってくる。あれに魅入られたら私はおしまいなのだから。しかしどうすればいいのだろうか?
ああ、私は二度と海へは帰れないのだ。重力と胃の中の圧迫感と、罪悪感と孤独感。それから空への恐怖。そして私は叫んだ。
空気中に、私の口からの振動が発せられていく。それは初めての経験で、海の中では存在することのない代物だった。我々は、いや海の中の全ての生き物は、声と言うものを持たないのだから。
だけれども、私の叫びは波の音にかき消され、誰が聞くこともなく消えていった。
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