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私が初めて認識した〝死〟は、幼少期に結核で母親を亡くしたことだった。
母の死は、最愛の家族との死別という悲しみや淋しさだけでなく、むしろそれ以上の影響を人格形成期の幼い私に及ぼした。
軍医をしていた私の父という人は、もともと信心深い敬虔なクリスチャンであったが、母の死を境に彼のそれはまさに狂信的なものへと変貌した。
私達こどもに対する教育の根底にもその信仰にあり、叱る時にはまさに異常としかいえないほどに厳しかった。
無論、それに対して私達も従順に従うばかりでなく、時に反抗的な態度に出たことはいうまでもない。
だが、そんな父の狂信的な考えに意見して口論となったある日の夜、偶然にも父の寝室を覗いてしまった私は、彼がベッドの前に跪き、神に祈る姿を見て大きな衝撃を受けた。
そのショックはあまり大きく、気持ちが昂ぶってベッドに潜り込んでもなかなか寝つけなかったほどだ。
その頃から無自覚にも絵を描くことで感情を吐露する方法を習慣にしていた私は、目撃したその光景を即興でスケッチして、ようやく心を落ち着かせて眠ることができた。
そうした父との暮らしの一方、死の影は私自身の上にも迫る……。
思春期にさしかかったその頃、私は慢性気管支炎を患っていたのだが、記憶が確かならば1867年の末ぐらいだったろうか? 咳き込んだ際に血を吐き、すっかり自分が結核にかかったものと信じてしまった私は、自らの死が近いことを覚悟した……。
ところが、現実に結核で命を落としたのは私ではなく、姉のヨハンネ・ソフィーエだった。
兄弟姉妹の中では一番仲がよく、私にとっては母親代りのような存在だった姉だ。
母に続き、私はまたしても最愛の家族を死という黒い天使によって奪い去られたのである。
少年時代における愛する者の死と、自分自身の病と、そして信仰の中だけに生きる父の狂気……思えば、病と狂気と死が、私の揺りかごを見守る暗黒の天使だったといえるだろう。
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