オスロの湾岸で世界が叫ぶ

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 もちろん、ボヘミアンは絵描きである私に霊感と活気を与えてくれるものでもあった。  私の画風が保守的な者達からすれば前衛的なものとなり、時に…いやしばしば酷評されるようなことがあったのも、多分に彼らの影響を受けてのことなのだろう。  とはいえ、やはり私の絵の根底にあるものは〝病〟と〝死〟と、そして、それがもたらす不安である。  政府の奨学金を得てのパリ留学中に父が死に、父の跡を継いで家族の中では唯一医者になっていた弟のペーテル・アンドレアースも肺炎で亡くなった。  一方、妹のラウラ・カトリーネは精神を病み、入院生活を続けざるを得なくなった。  妹ラウラの心の病は私の精神をも蝕み、そのストレスからカジノで奨学金をすべて浪費してしまうという副産物までもたらしたほどである。  それからもう一つ、私の作品の重要なテーマとなっているのが死の不安に抗することのできる、人間の持つ最も強く、最も尊き心の力――〝愛〟だ。  けして人前では述べられないことだが……私は人妻であったミリー・タウロウとの禁じられた愛に苦しんだり、芸術家仲間プシビシェフスキの妻となったダグニー・ユールと長らく愛人関係にあったり…と、やはり〝愛〟は〝死〟同様に善悪両面において私と私の作品に多大なる影響を与えてきた。  もしもここに私の作品を一堂に並べたら、それらがすべて〝愛〟と〝死〟を扱ったものであることが容易にご理解いただけるものであろう。  そんな精神状態であれば、いくら風光明媚な場所であったとて心地良い感動など得られるわけがない。  すでに太陽は沈みかけており、眼前に広がるのは見事なフィヨルドの夕焼けである……普通の人間だったならば、きっと温かな心持ちになったことだろう。  だが、そんなことをなんとなく考えていた時だった。
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