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会議室のドアを開け「失礼します」と、頭を下げた。自分の声が震えているのがわかる。心なしか、膝も細かく震えていて、審査員が並んでいる机の前に立つまでが、永遠のように感じられる。
「フローエージェンシー所属、高瀬七海です、よろしくお願いします」
できるだけ元気に聞こえるように声を張り、お辞儀をする。顔をあげると、ちょうど端の机の席についた柳島さんと、正面から目が合った。
柳島さんの目が驚いたように見開かれ、わたしの顔を凝視する。顔になにかついているだろうか。手鏡を出して顔を確認したかったけれども、それはできない。
「こちらの紙を読んで、5分後に演技をお願いします」
スタッフから渡された紙を見る。そこには、キャラクターの説明といくつかの台詞が書いてあった。
5分という短い時間でその内容を理解し、自分なりの解釈を加えて、キャラクターの性格やバックグラウンドを考えなければならない。
そして、声の高低や強弱、喋る速さや溜め、張りを駆使し、声の演技を完成させなければ。
わたしは懸命に集中しようとした。でも、居心地の悪さにふと目を上げると、柳島さんがじっとわたしを見ていることに気づくのだ。
どうして見つめられているのかがわからなくて気になり、目の前の紙に集中できない。
5分はあっという間に過ぎた。「始めて」という声に大きく息を吸う。柳島さんの視線を気にしてなどいられない。出来ていようがいまいが、演技をしなければならないのだから。
声が上ずった。早口になり、噛んだ。溜め、リズム、感情のことなどなにも考えられないまま、あっという間に最後のセリフを読み上げた。
声は尻すぼみに小さくなって、最後までちゃんと読み上げられなかった。
演技が終わっても、誰もなにも言わなかった。お世辞にも褒められた演技ではなかった自覚から、わたしは恥ずかしくて今すぐにでもこの場所を後にしたかった。
「高瀬さん、緊張しすぎたね。残念だ」
ようやく口を開いた柳島さんの言葉に、さらに頰が熱くなる。
どんなに落ち着いて演技をしようとしても、緊張に飲まれてしまう。それに加えて、柳島さんに無遠慮に見つめられる居心地の悪さから、集中力を欠いてしまった。
でも、それらはすべて言い訳だ。どんな状況下でも演技ができなければ、声優の仕事はこない。
結果は後日連絡します、と言われ帰途に着く。
帰りの電車で涙がじわりと湧いた。慌てて拭うも、後から後から湧く涙を抑えることができず、次の駅で電車を降りてトイレに駆け込んだ。
覚悟して臨んだというのに、全力を尽せなかった自分が不甲斐なく、悔しくて堪らなかった。
翌日、事務所を通して知らされたオーディションの結果は言わずもがなで、わたしはその日で事務所を辞めた。
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