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わたしは、動画配信サイトで見たライブ動画を思い出した。きっと将也さんの耳には、カオルさんレベルでもまだまだだったのだろう。
「何度も悔し泣きしてるところを見た。喉が潰れるまで歌って、声が出なくなることも何度もあったし」
将吾さんは別れた後もカオルさんを支え、相談に乗っていたらしい。そのときにカオルさんへの厳しさを聞き、何度となく兄弟喧嘩をしたのだという。
「所属事務所が決まって本契約して、いよいよってときに、カオルの喉が明らかにおかしいことに気がついてさ」
将吾さんはカオルさんを病院に連れて行き、精密検査を受けさせた。そして、腫瘍が見つかった。
「それで終わりさ。腫瘍を取ったら前のようには歌えない。気が遠くなるほどのリハビリを受けなきゃならないし、何より日本じゃ無理だ、って言われた。
オレはカオルを兄貴に取られて、兄貴のせいでカオルの声が出なくなって、正直めちゃくちゃ恨んだよ」
将吾さんはギアから手を離すと、包むようにわたしの手を握った。
「双子だからこそ兄貴の凄さ、カリスマ性はよく分かる。見えないところでずっと努力してるのも知ってたし、カオルに厳しいのもカオルのためを思ってのことだったしさ」
「うん」
「兄貴とはそれ以来、お互いに踏み込みすぎないように気を付けてる感じだな」
わたしは将吾さんの手を握り返した。二人に微妙な距離感やぎこちなさを感じるのは、この理由があったからなのか。
「カオルは、療法のためにアメリカに行って、向こうで知り合った理学療法士と結婚した。歌はもう歌わないけど、幸せだって言ってた」
車は渋滞を抜けた。今までの混みようが嘘のように、スムーズに進んでいく。わたしは滴る涙を止めようと懸命だった。
「なんだよ、なんで七海が泣くんだよ」
「だって」
涙は頬を伝い、顎へと流れていく。将吾さんはダッシュボードを開くと、中からティッシュを取り出し、渡してくれた。
「七海はピュアだよな」
渡されたティッシュで涙を押さえながら、わたしはかぶりを振った。ピュアなんかじゃない……ずるい女なのだ。
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