対峙

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対峙

 年度末はいつもに増して忙しい。秋の異動の後、人員補充はされなかったのでわたしは毎日のように遅くまで残業していた。  定時から三時間を過ぎると、さすがに残っている社員も少なくなる。わたしはフロアを見渡して小さくため息をついた。  今日の分の仕事は、あと少しでなんとか終わりそうだった。でも、もう集中力が保たない。わたしは立ち上がると、小銭入れを持って給湯室に向かった。給湯室には自動販売機がある。そこで温かいココアを買い、一息つく。  将吾さんは今日も遅くなると連絡があった。また海外出張が控えているからか、彼の忙しさはいつもに輪をかけている。  温泉から帰ってきて、わたしは決めたのだ。今度こそ、将也さんのことを忘れよう、と。  あれから、将也さんから何回か着信があったけれども、わたしは出なかった。  今後、結婚式や里帰りで顔を合わすことは致し方ない。けれど、少なくとも、接触を最低限にする努力は必要だ……。 「あれ? 高瀬さんまだ残ってたの」  声をかけられて振り返ると、町谷くんが立っていた。 「町谷くんこそ遅くまで残ってたんだね、お疲れ様」 「帰る時間遅くなると、柳島さん心配しない?」 「彼も、ずっと帰り遅いから」 「そっか」  町谷くんは自動販売機に小銭を入れると、カフェオレのボタンを押した。出てきた熱いカフェオレに息を吹きかけて冷ましながら、聞いてくる。 「何時までやる?」 「後30分くらいかな」 「俺もそのくらいで帰ろうかな。駅まで一緒に行こうよ」 「うん、いいよ」 「良かった。じゃあ後で」  町谷くんはにっと微笑むと、爽やかにデスクに戻っていった。  わたしも自分のデスクに戻ろうと廊下に出たときに、、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。取り出し、表示された名前を見ただけで、ぎゅっと胸を掴まれたような苦しさを感じる……将也さんからだ。  わたしはスマートフォンをポケットにしまった。  将也さんとは、もう会わない。  そう決めた途端に、何か察しでもしたかのように、将也さんから電話がかかってくる。  わたしは、後ろ髪を引かれるようにポケットに手を入れ、スマートフォンにそっと触れた。さっきまで振動を続けていたスマートフォンは、諦めたように静かになっていた。
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