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玄関から、鍵の開く音がした。時計を見ると、将吾さんに帰るように促されてから、まだ15分も経っていなかった。
「あれ、七海まだ風呂入ってなかったの」
「あ……うん、待ってた」
「先入れよ、七海の方が朝早いんだし」
「うん、ありがとう」
将吾さんの態度は変わっていなかった。声にも表情にも、いつもと違う様子はない。
あの日のことについて何一つ触れてないのならば、わたしと居たことについて、将也さんはなんと言い訳したのだろう。
急いで風呂を済ませ、髪を乾かす。このままでは気になりすぎて眠れない。将吾さんがお風呂を出たら、将也さんと何を話したのか聞いてみよう。
「七海」
呼ばれた気がしてビクッとした。ドライヤーのスイッチを切る。振り返ると、将吾さんがちょうどお風呂を出て髪を拭きながらキッチンに向かっているところだった。
「水、飲む?」
冷蔵庫からミネラルウォーターを出しながら、将吾さんが聞く。
「ううん、いらない」
将吾さんはペットボトルのキャップを開けると、ごくごくと水を飲み干した。
「兄貴さ。しばらくヨーロッパに行くって」
「ヨーロッパ? なんで?」
「先月のライブ、あっちのクリエイターチームが見に来てたらしくてさ。気に入られて一緒に制作やらないかって誘われたらしい」
「そうなんだ」
返事が上の空になる。どのくらいの期間行くのだろうか。まさか、いきなり向こうに住む、ということはないだろう。けれども、長期滞在になるのか数週間で帰ってくるのかはわからない。
将也さんへの思いを断ち切りたいのに、将也さんが少しの間でも日本を離れると聞くと、胸のざわつきがおさまらない。
「あ、それからオレ、再来週からドイツ出張になった」
「ドイツ? どのくらい?」
「予定通りなら二週間かな」
「わかった」
「七海」
愛おしそうに伸ばされる手。引き寄せられ、抱き寄せられる。見つめてくる将吾さんの瞳を、同じように見返すことができなくて、不自然にならないよう自然に、ゆっくりと目を逸らす。
「明日早いから、もう寝るね」
「ああ、お休み」
わたしは寝室のドアを後手に閉めると、深いため息をついた。
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