瓦解

3/4
前へ
/126ページ
次へ
 言ってから悔やんだ。もう関わらない、会わない、話さない、と決めたのに、どうして家にきて、なんて言ってしまったのか。  わたしは自分に言い聞かせた。将也さんの怪我を手当てするだけで、他にやましいことはない。手当てが終わったら帰って貰う。それだけだ。  エレベーターが5階に着くまでがもどかしい。将也さんは口を一文字にして階数表示を見ている。わたしには、視線を寄越さない。 「どうぞ」  鍵を開けて将也さんを招き入れる。将也さんは小さな声で「お邪魔します」と中に入り、ドクターマーチンを脱いだ。  カチャカチャと金属の擦れ合う音に、あの日のことがフラッシュバックする。わたしは軽く頭を振って、記憶を外へと押しやった。  ソファに座ってもらい、腫れているところを濡らしたタオルで冷やした。血をぬぐい、傷を消毒する。 「七海ちゃん」  顔を上げたら、将也さんと目が合った。 「将吾から、何か言われたか」 「いえ、何も」  怪我は思ったほどではなく、痣以外は軽い擦り傷が多かった。瞼の腫れも、多分二、三日で落ち着くだろう。 「将也さんこそ、何も話してないんですか」  絆創膏を取り出し、指先に貼った。 「何もって」 「あの日のこと」  言ってしまうと、恥ずかしいくらいに体の内側に火が灯る。  筋肉質な二の腕に抱きとめられ、ギターを爪弾くように、丁寧に服を脱がされた。舌の愛撫、唾液の味。とめどなく溢れる蜜。貫かれ、全身の細胞が快楽に喜悦し、震えが止まらなかったあの瞬間。甘くて苦い、背徳。 「七海ちゃん?」  呼ばれて、はっと我に返った。慌てて絆創膏や消毒液を片付け、立ち上がる。 「お茶、入れます。お茶飲んだら帰ってください」  将也さんは、黙ってわたしを見た。見られている、というだけで、わたしは体の奥がきゅっとなるのを感じた。 「どうぞ」  サイドテーブルにカップを置く。 「ありがとう」  将也さんがカップを口に運ぶ。その唇に引き寄せられるように見入る。お茶を飲み終わったら、帰ってもらう。手当てをしただけ。何も後ろめたいことはない。 「なんで、殴られてたんですか」  黙っていると抱きついてしまいそうで、それを抑えるために話しかけた。話していれば、この衝動をきっと無視できる。 「ユウって覚えてる? リコの、前の男。七海ちゃんを拉致った奴」 「あ、はい」 「アイツにさ、たまたまあそこで会って、難癖つけられて仲間呼ばれた。アイツのパンチ、型は派手だけど全然ダメージねぇんだよ。けど、人だかりになっちまったから、ちょっと倒れるフリでもすれば終わるかなって思ってさ」  それは強がりだとわかった。確かに、体に残っているあざや打撲は思ったほど酷くなかったけれども、相当のダメージを受けたのはわかる。
/126ページ

最初のコメントを投稿しよう!

186人が本棚に入れています
本棚に追加