shout oneself hoarse

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shout oneself hoarse

「いってきまーす!!」 「行ってらっしゃーい!」 私は毎朝、愛娘の声に行ってらっしゃいの返事をする。 今日1日無事に、元気に過ごすことの出来るようにと祈りながら返事をする。 娘が小学生になって早くも6年目。 子供の成長ってなんて早いのかしら。 もう来月には卒業式を迎えるのです。 とか何とか考えているうちに、最愛の夫が出勤するところでした。 「行ってきます」 「行ってらっしゃい」 夫は娘が小学3年生の頃に急に転職をしたの。 休みが取りやすいようにシステムエンジニアになるって。 家族を思っての行動だとは思うのだけれど、あまりにも急過ぎて喧嘩になりかけてしまったのを覚えているわ。 でも、転職した理由はそれだけではなくて、なんでも娘が2年生の時に参加した小学校の発表会で、あの子が必死に演劇をしている姿を見たからだそうよ。 「あの子がこんなにも頑張っている。俺はこのままで良いのだろうか。まだ先に進めるんじゃないか。そしたら家族がもっと幸せになるんじゃないか」って。 考え方や将来に希望を持つのは立派だけど、あの時の私の心配をもう少し察して欲しかったわ。 あれから3年経って仕事にも慣れて、後輩もできて、きっと私が知らない苦労はあるのだろうけど、充実した顔つきになってきたわね。 毎日その顔を見ることが出来て私は何よりも嬉しいのよ。 毎日、愛娘と最愛の夫の顔を見ることが出来て嬉しい。 本当に嬉しいのよ。 でも、どうしてこんなにも胸の奥が震えるのかしら。 足の先から頭のてっぺんまで、どうしてこんなにも冷たくぬるま湯に浸かった肌寒さを感じるのかしら。 あなた方の顔を見る度に身体はじわっと温まり、頬も緩むのに。 その次の瞬間、すぐに目の奥から生温いものが溢れそうになる。 365日毎日ずっと。 どうして神様は私にこんな罰を与えたのかしら。 1年前 私は家の前で事故に遭いました。 真昼間から酒に溺れた運転手の大きな鉛玉が、私の身体を遥か先へと弾きました。 それから目を開くと、その先には夫と娘の姿がありました。 ちょうど2人がそれぞれスーツと制服を身に纏い、朝の支度を終えて家を出るところでした。 「行ってらっしゃい!」 と、声をかけると2人は身体をビクッとさせ、空を見上げます。 不思議なんです。 空を見上げたはずの彼等の目が私を捉えます。 その目は柔らかさが当たり前なはずなのに、何故かひんやりとしたのを覚えています。 私はもう一度 「行ってらっしゃい!!」 と、声をかけました。 すると2人は私には目もくれずに駅へと向かおうとします。 私はその場から動けませんでした。 歩く事が出来ませんでした。 どうにか2人に振り向いてもらおうと手を伸ばした瞬間 手を伸ばした、はずなのに バサッと。 視界に入るのは黒くしなやかな羽。 朝の陽射しが反射した黒く光沢のある羽。 右眼でそれを目撃した後、一瞬の思考を挟み反対側に設置されたカーブミラーを覗く。 そこには体長およそ40cmばかりの黒い鳥が。 大きなくちばしを小さく開けて、喉を震わせると 「かァ」 今度は大きく開けて 「カァ」 それから何度も何度も喉を震わせました。 けれども口から出る音は 「カァ」 あれから1年が経ちました。 私はこうして電柱のいちばん高いところからあなた達を見守っています。 だから、そんな顔をしないで。 そんなにも怪訝な顔で毎朝私の前を通り過ぎないで。 私はただ、今までみたいにあなた達に声をかけたいだけなの。 今までみたいに家を出る時は、笑顔と温かい眼差しを向けて「いってきます」をかけて欲しいだけなの。 私もこうして必ず「行ってらっしゃい」って返事をするから。 だからお願い。 私は今日も声をかけるわ。 あなた達にこの言葉が届くように。 何度でも喉を鳴らすわ。 あなた達にこの思いが届くように。 「行ってらっしゃい」 声を枯らして叫ぶわ。 喉震わせて鳴らすわ。 今日も生温いものが頬をつたうの。
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