序文:聖域のはじまりと、龍王の裔(すえ)

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序文:聖域のはじまりと、龍王の裔(すえ)

 この大陸は、二つの円い島が縦にくっついたような、少しいびつな瓢箪(ひょうたん)形をしている。  その瓢箪のくびれた腰の部分―――つまり大陸中央に、大陸を南北に二分するようなかたちで、龍王たちの住まう『聖域』が横たわっている。  全土が森林に覆われ、山河もあれば渓谷もある広大な領域だ。東西の端は海に接しているが、高い断崖絶壁ゆえ海から直接上陸することはできない。  南北の端は、目に見えない結界によって人間の住む国と隔てられている。生き神の棲み処と知らずに分け行った者は、行けども行けども深い霧に覆われた森にぐるぐると迷うばかりで、聖域の内部に辿りつくことはできない。  唯人(ただびと)が踏み入ることは許されない神森。  発展してゆく人間の文明とは距離を置き、太古からの自然を唯一そのまま残している聖なる土地。  それが、龍王の聖域だった。  ―――かつて遠い昔、まだ人間が今ほど数が多くなく、跳梁(のさば)っていなかった原始の頃。  龍という大きな体をした種族は大陸中にあまた存在していて、鱗の生えた翼で悠然と空を飛び回り、動物はもちろん昆虫や植物に至るまで、全ての生き物から畏敬の念を受けていた。大陸中の生きとし生けるものの王、それが龍種であった。  ひとくちに龍といっても二足歩行する龍から首長龍まで姿形はさまざま、その種類は数百に及んでいた。彼ら龍は、眷属たる(みずち)や蛇のたぐいを従えて、食物連鎖の頂点に立ちながらも、まるで動物界を見守るように厳かに君臨していた。  けれど人間たちが数を増し大陸のあちこちに文明を築いてゆくにつれ、龍たちの住処であった緑の大地は、人間の築いた石の街にしだいに専横された。  人間達は、龍の首の虹色に輝くうろこを宝石のように珍重し、高値で売買をはじめ、やがてその宝を目当てに龍を狩るようになった。  余った龍の腹や背のうろこは軽くて硬く、鎧にうってつけの素材であったので、人間の王たちは戦の準備のために、兵士の鎧を造るために、ますます(こぞ)って龍を乱獲した。  龍たちは身を守るために翼で風を起こし、妖力で稲妻を呼び、口から火を吐いて暴れた。しかし体の大きさ故に身を隠しきることができず、人間の作った鋼の武器によって次々に狩られていった。  龍は本来、そうした天候を操る力とともにさまざまの動物の言葉を解する知的な種族であったはずなのだが、抵抗するときの爪牙の鋭さから、いつしか獰猛な種族と人間に見做されるようになり、ますます狩りつくされて急激に衰退した。龍の眷属で水に棲む妖怪であった(みずち)は、あるじたちよりも先に死滅した。蛇は、乱獲の対象とはならなかったので今も大陸中にその姿を見ることができる。  空を翔けることが得意な翼龍の一部は、大陸を離れ、他の大陸を探しに海の向こうへ羽撃(はばた)いていった。この瓢箪型をした大陸以外に他の大陸があるのかどうかは定かではない。翼龍族は帰ってこなかった。彼らが新大陸に辿りついて生き延びているのか、それとも途中で力尽きて海原に落ちたのか、今はもう確かめるすべはない。  翼龍ほど翔ぶのが得意でない他の龍たちは、住処を追われ逃げ場を失い、次第に大陸中央へと集まっていった。  あまたの龍たちをまとめていた龍の王は、大陸中央の限られた領域に不思議な力で結界を張り、人界を遮断し、龍は結界の内に籠って暮らすことと定めた。  それが、聖域の森の始まりである。  しかし欲果つることのない人間たちは聖域のなかの龍を狙い続けた。結界に阻まれて南北から侵入することができぬと分かると、舟を出して海側から上陸しようと試みた。当時は今ほど海抜が高くなかったので、人間のうちの幾人かは聖域内に侵入して、森に暮らすわずかな龍を弓矢で狙ったりもした。  龍族はついにある大きな決断をした。  人間が繁栄してゆくのを今さら止めることはできない。大陸中に文明を築き上げた彼らを滅ぼすには、きっと今まで以上の流血が必要になるだろう。ならば人間とうまくやってゆくために、己が種族をせめて聖域内だけでも存続させるために、生きにくい龍の姿を捨てようと決意したのである。  彼らは人間の姿に似せて、化けた。 『人間もよもや自分たちと同じ姿をした者を狩りはすまい』という考えからだった。  神聖の森からはやがて大きな龍の姿が忽然と消え、代わりに天人のように非常に見目麗しい人たちの姿が時おり、見かけられるようになった。  龍族の目論見は当たり、人間たちは龍を狩るのを諦めた。浅はかな人間たちは、乱獲を止めてはじめて、龍たちの想いを学んだ。  龍が絶滅の危機に瀕していることや、人間に姿を近づけて敵意を躱すという手段を使ってでも、共存し生き延びていこうとしていること。  彼らが人間にはない不思議の技を操り、人語を解する非常に知的な生命体であることを、改めて認識したのだ。人間たちは聖域から離れてゆき、神森を見守り始めた。  …それからまた数百年の刻が過ぎた。  人間たちのあいだではいつしか、人姿をとるに至った龍たちを神格化して崇めるようになっていた。彼らは龍たちの玲瓏な容姿を模した絵画を神殿に飾り、そうすることで人知を超えた力が人界にも及ぶと信じ、様々な手法で礼拝した。  皮肉なことに、龍たちは大いなる龍の姿を捨てた代償に、思いがけず人間たちの崇拝を得たのだ。  しかし、もとより乱獲によって雌雄の比が崩壊していた龍族は、どちらにせよ滅びの一途を辿る運命だったのだろう。  妖力の弱い龍たちから順に死に絶えてゆき、最後の雌が死に、非常に大きな力を持っていた龍族の王が死に。  とうとう聖域に残った龍は、最後の雌と龍王との間の子、七匹だけとなった。  それからまた、幾許かの星霜が過ぎ……、  今に至っている。 (※次ページより本編です)
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