その一 末の龍王・葵

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その一 末の龍王・葵

 何処かでホウホウと、梟の淋しげに啼く声がする。  (さとる)はなかなか寝付かれずに、床の中で何度目かの寝返りを打った。  外では風の音がびゅうびゅうと唸っている。まるで冬がひととき舞い戻ってきたかのように冷え込む、ある春の宵のこと。 (明日も早くから宮さまの供廻りなのだから)と、自分に言い聞かせてもなぜか今宵は無性に眼が炯炯として、(ねむ)ることが出来ぬ。  しばらく無駄に足掻いたあと、とうとう(さとる)は掛け布を跳ね上げ起き上がった。  寝付きには自信のある自分がこのように一向に睡れぬのは、きっと今朝から頭の片隅にある、この嫌な予感のせいだろう。  そう決めつけて、散歩がてら巡回でもするかと立ち上がる。  枕元に置いてあった太刀を取って脇に差し、膝までの白い上衣だけを取り敢えずの防寒にと、寝巻きの上から羽織った。   龍王に仕える武官として、昼夜にかかわらず職についている間は全身白の長法衣を纏わねばならないが、今宵は非番。多少くだけた服装をしていても年嵩の将宮(しょうぐう)たちに見咎められることはあるまい。  廊下に繋がる引き戸をそろそろと開けると、足先に沁みるような冷風が通り過ぎて行った。  暁は隣や向かいの部屋に眠る同輩らに外出を悟られぬよう、足音を殺して廊下に出た。  裸足の足裏に木目の床がひたり、ひたりと張りつく。足袋を履いてこなかったことに気づくが、今さら戻るのも億劫だ。  中庭の池に季節外れの蓮の花がゆらゆらと浮かんでいるさま、その花露が月光を浴びて煌々と艶めいているさまを、暁は息を吐きながら眺めた。  彼のあるじである水の龍王が坐すこの宮は、もともとこの地にあった蓮池を取り囲むように丸い形に建てられ、水蓮宮と呼ばれていた。 『中庭』といってもその広さはかなりのものである。蓮池には上弦の月を模ったような(あけ)色の橋が掛けられ、池の中央に浮かぶ小島には、あるじのための瀟洒な四阿(あずまや)がある。  ふと、暁はその四阿に人影を見つけた。  銀色の、月の光を受けて四阿の屋根が淡く照らし出されている。  その八角形の影の下、しつらえられた大理石の椅子に腰を下ろしているのだろうか、長い髪が今宵の風にささやと音もなく靡いているのが、暁の場所からでも見て取れた。  あるじだ。こんな夜更けに、一体どうしたのだろう。
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