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 (さい)家の三女、朱夏(しゅか)は口を真一文字にして、頭を垂れた。決して泣くまいと眦を引き締める。 「顔を上げなさい」 ゆっくりと掛けられる低い威圧的な声は、人を従わせる者の声音だ。    朱夏は、膝においた手を固く握りしめて、父であり、采家の当主である楊炯(ようこう)の顔を挑むように見据えた。 「宮妓になりたいならば、なにも旅芸一座に弟子入りせずとも、私がそのように計らえる」  宮妓とは宮廷や神殿において歌舞や楽曲を披露する者をいう。  その道に才ある者が選ばれ、一握りの者が君主の御前で披露することを許される。  そして、さらに一握りの者は『宮廷神妓官』の職務に就く。  それは、女の身でありながら唯一、政に参加できる権威ある職務であった。  宮廷神妓官は神事の際の神舞の舞手であるだけでなく、宮妓らをまとめ、指導し、宮中の宴の趣向を構成する。  内々の小さな宴から国同士の外交に関わる大きな宴まで取り仕切るのだ。霞弦の披露する歌舞音曲は当然国随一、否、大陸随一のものでなければならない。            宮廷には宮妓を育成する教坊があり、宮妓見習いとして貴族や裕福な家柄のご息女が教養の一環として持参金を手にして入宮する。  しかし、彼女たちは宮妓を目指すというよりは後宮に入ることが目的の女官候補、妃候補の令嬢だ。現に、前皇后妃は宮妓上がりだった。 「いいえ、父様。その才があるのか、まずは己で試したいのです。采家の力添え無く、身一つで門をくぐれるか量りたいのです」  采家は王都でも有数の商家だ。 酒や油の卸売業で財を成している。  父の後ろ盾があれば宮妓見習いの門は容易くくぐれるだろう。 だが、朱夏が目指しているのは神官と同等の権威を持つ宮廷神妓官だ。 それも楽舞で戦火を鎮めた、かの仙技を修めるほどの宮妓を志したい。
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