Strong and Healing

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Strong and Healing

5年前、恋人より仕事を選んだ。 決めたのは私なんだから泣いてはいられない。 自分の足で歩き出さなきゃ。 もう立ち止まらない。 もう振り向かない。 そう思って仕事に邁進してきた。 隣で笑ってくれていた人はもういない。 自分で選んだ道を信じるしかない。 余計なことを考える暇を作らないように 次から次へと忙しくして 弱ったときに頼らないようにスマホのメモリから彼の連絡先も写真も全部消した。 この決意と比例して独立した事業はうまくいっている。 けど、ふと街で1人コーヒーなんかを飲んで外を見ていると みんな笑いあっていてすごく幸せそうに見える。 5年前とは違うメイクで香水も変えてオシャレもして目指していた大人の女に少しは近づけたと思うし、たくさんの物を手にいれることもできた。 だけど1番大切にしていたものをそれと引き換えに手放した。 疲れた時にふいに思い出す元カレの寝顔は今でも鮮明で私を癒してくれる。 もっと強くなならなきゃ。 1人で歩いてきたんだから、これからもやりたいこと、叶えたいこと、私には沢山ある。 十分幸せじゃない。 今日は予定のない休日で目黒の美容室を予約している。 独立して1・2年までは行っていたけれど 最近はオフィスから近いところに時間の都合上変えていた。 お天気が良ければ目黒川沿いをゆっくり歩きたかったし、柊平君にも久しぶりに会いたかった。 柊平君は年齢は知らないけど目黒でこじんまりとした美容室をやっている。 私は10年ほど前から行っていて、腕も良いけど何よりもお店の居心地がすごく良くて気に入っていた。 『久しぶり。七瀬ちゃん。』 『柊平くーん、変わってないねー。久しぶり!』 『2年ぶり?3年か。全然来てくれないから。仕事忙しいの?』 『うん。おかげさまで。あ、これ差し入れ。柊平君の好きなメゾンランドゥメンヌのクロワッサン。』 『まじで?めっちゃ好きなんだよね。ありがとう。』 3年ぶりに来ても変わらない空気感にホッとする。 『今日は時間あるの?』 『うん。休みで予定もない。』 『じゃあさ、ゆっくりしていきなよ。今日は七瀬ちゃんで終了にしようと思って予約いれてないし。』 『良いの?やった!』 さっきから思ってたけど、柊平君は今でも変わらず私の事を“七瀬ちゃん”って呼んでくれる。 最近は”七瀬さん”とか“オーナー”とか“社長”とかだから 若返ったみたいでくすぐったい。 独身で彼氏なしのアラサーには嬉しい限り。 『じゃあまずはヘッドスパから始めようかな。』 これ、大好き。 男の人だから力加減が絶妙で何度寝落ちしたことか。 『結構、凝ってんなー。頭使いすぎ!仕事しすぎでしょ。』 『ほんと?もう当たり前すぎてわかんないや…。』 この後の会話は正直覚えていない。 たぶん、気持ちよすぎて秒で寝たと思う。 シャンプー台からチェアーに移動して 『相変わらず、すぐ寝落ちするなー。』 と柊平君に言われる。 『だって、気持ちよすぎて。ゴッドハンドだよ!』 『じゃあついでに首もマッサージしとこうかな。てか、ヤバイぐらい硬いわ。』 『この5年さ、彼氏とも別れて仕事ばっかりしてきた代償だよ、これは。 鏡見てさフケたなーとか最近思うわけ。 見た目はエステとか行ってケアしてても中身の潤いが足りない。』 と私がため息混じりで言うと 柊平君はそっと頭の上に手を置いてポンポンと撫でてくれた。 『よくがんばりました。七瀬ちゃんは昔より、強く綺麗になってるよ。』 キュンとした。 事業を立ち上げてからは誰かに誉められることも労ってもらうこともなくなった。 弱音をはける場所も泣ける場所もなくなった。 気づいたら、目には涙がいっぱいたまっていて 泣いて良いのか泣いたらダメなのかわからなくてこらえていると 『泣きたいときは泣けば良い。泣ける場所がないならここに来たら良い。俺は変わらずここにいるから。泣かない強さはカッコいいかもしれないけど泣ける強さは綺麗だよ。』 別に悲しいことがあった訳じゃない。 だけど、5年間張りつめていた気持ちが一気に溢れだしてきて止まらなかった。 そっとハンカチを差し出してくれる優しさにまた涙が出る。 柊平君は 『これは、5年頑張ったご褒美ね。』 と言ってそっと抱き締めてくれた。 どれぐらい泣いたのかわからないけど 気持ちも収まって、淹れてくれたミルクティーを飲む。 『ごめんね。ありがとう。おかげで目黒川沿いを歩かなくてすんだ(笑)』 『なにそれ(笑)』 『なんでもない。』 髪の毛を綺麗に整えてもらって なんだか、背筋がシャンとした。 明日からまた気持ち新たに頑張れる。 『どうする?この後、飲みにでも行く?』 『んー。やめとく。』 『そ?残念。』 『また明日から頑張って、柊平君に誉めてもらいたいから来月来る。 今日いっぱいご褒美もらったら楽しみがなくなるでしょ?』 『なるほどね。じゃー俺は男でも磨いて七瀬ちゃんを癒せるようにしておくわ(笑)』 『それは楽しみー(笑)』 『来月は、店じゃなくてどっかご飯にでも行こう。』 『やった!』 小さく芽生えた会える楽しみや頑張れる気持ちは、きっとふと思い出す元カレの寝顔より私を癒してくれるし、強く、綺麗にしてくれると思う。 今さら恋を急いだってアラサー。 されど、アラサー。 “この芽生えた気持ちがどう育っていくのかは今はわからないけど、手放さずに大事にしなきゃ。“
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